イザヤ書46章1-13節 「神に背負われた生涯」 牧野信成牧師

 

 今日、私たちは敬愛する長田礼子姉の葬儀のためにここに集いました。姉妹は水曜日の夜、あと数十分でお誕生日を迎えるところでしたが、主の御旨によって天に召されました。私たちは、まだしばらく、礼子さんとの交わりを持つことができるだろうと思っていましたが、それは、神のご計画とは違っていました。私も牧師として、教会員の方々やそのご家族の最後を病院で静かに看取ったことは何度もあります。けれども、それは私たちの思い通りに事が運んだのではありません。私たちには知ることのできない、神のご計画があります。それは、私たち一人ひとり定められています。礼子さんがこの時に召されたのは、それが、神のお考えだったからです。

 私の知る礼子さんは、明るくて優しい、健康的な方でした。教会の母親たちは怖い、と私が思っていた子どもの頃、礼子さんにはそういう警戒心を持ったことは一度もありませんでした。昨日、長田先生ご夫妻が通っておられた上田教会で、ご親族のための葬儀が行われました。そこで、長田先生が挨拶されて、礼子さんのことをこんな風に語っておられました。自分と礼子さんのどちらが先に天国へ行くか、と度々議論になった。どちらも自分が先だと譲らない。まあ、天国へ行けばまた一緒になれるのだからと先生が言うと、礼子さんの言うことはちょっと違っていた。私は天国へ行った時に、地上では上手く打ち解けることができなかった人たちと、今度は何のわだかまりもなく仲良くなれるのが楽しみだ、と。「愛の道」を生涯説いておられるのは長田秀夫先生ですけれども、案外、礼子さんが先んじてその道を進んでおられたのかなあと思わされました。

長田家の皆さんとは、私は幼い頃からお付き合いがあるのですが、牧師になってからは関西におりましたので、再びお会いしたのはこちらに赴任して来てからです。最初に、上田の生田にある長田先生のお宅を訪問した際に、礼子さんにお会いしました。私がその時まで抱いていた印象は、最近、長田先生の部屋で見つけた写真そのままで、三人の息子さんがお揃いのベストを着て並んでいる、その後ろに、若々しく立っている礼子さんの姿だったのですが、久しぶりに再会した礼子さんは、病いのために腰が曲がってしまって、お顔も見えない程でした。一度、お電話で話したことがありました。秀夫先生に連絡したいと思って携帯に電話したら、上田の病院にいる礼子さんにつながってしまいました。あれ、と思ってしどろもどろになっている私に、礼子さんは落ち着いた様子で流暢に事情を話してくれました。その電話の声は、昔の礼子さんそのものでした。昨日、妹さんの久子さんとお話したのですが、姉によく電話をして話を聞いてもらったと言っていました。電話では昔とちっとも変わらないのよ、と私の感じたことを後押ししてくれました。

 息子さんたちの話によりますと、自分たちが親の世話をしなければなどと言うと、世話をするのは私の方、と譲らなかったそうですね。これは、おそらくここにお集まりの教会の方々はよくご存知ではないかと思います。人をもてなす喜びを知った方でした。神に仕え、人に仕えることが無理なく自然であった方でした。

病いによる礼子さんの晩年の苦しみを私たちは考えますが、礼子さんが選んだ愛唱讃美歌は先ほど一緒に歌った518番です。人生の終わりを思い見て、決して命を儚んだりしないで、主イエスに救われた喜びを、暖かい感謝の言葉で歌っています。私たちは安易に見た目で人を判断しがちですけれども、腰が曲がってしまっても、やはり礼子さんは礼子さんであったに違いありません。

そして、礼子さんが選んだ愛唱聖句は、今お読みした、イザヤ書の一節です。46章4節の御言葉です。

わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

これはイスラエルの預言者が語り伝えた神の言葉です。イスラエルは神に背いたことで恐るべき結果を招きました。戦争に負けて、名誉も地位も財産も、果ては家族の命まで失う羽目になって、生きる気力も失いました。結局自分を救うのは自分だとか、努力したものが勝利を手にするとか、言っているうちは元気な証拠ですけれども、それが想定外の力で叩き潰されてしまった時、もはや自分を支えるものなど何処にも残っていはしません。そんな状態にあったイスラエルに対して、神は先の言葉を告げました。

わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

ダメになったから用はない、ではないのですね。まさにクズ同然になって、神からも人からも見捨てられたと思っている人間に対して、神は「わたしが背負う」と名乗り出る。病気で動けないからもうダメだとか、働けないから価値がないとか、自分の思いだけに囚われると人間何処までも卑屈になってしまうのですけれども、神の側からすれば「勝手に決めるな」ということでしょう。わたしがあなたを造った-これは、神だからこそ言えることです。人間は人間を造ることが出来ない。「産む」のは「造る」のとは違います。わたしがあなたを造った。「だから」、わたしが担い、背負い、救い出す。ここはそう言う意味でしょう。あなたたちが老いる日まで、白髪になるまで、というのは、老人になったらそこで終わり、あとは知らない、というのではなくて、老いてもなお、生涯の終わりまで、ということでしょう。わたしがあなたを造ったのだから、生涯の終わりまで、わたしがあなたを背負って行くのだ、と、神は宣言しておられる。私たちはこれを信じることが出来るでしょうか。

 旧約聖書の昔に語られたこの約束の言葉は本当だったのか。それともその場限りの口約束だったのか。人間でしたら、その場の雰囲気で「大丈夫」などと軽く言って流して済ますこともありますけれども。しかし、それが只の言葉ではない事は、聖書が記している通りです。神は確かに、私たちの人生を背負ってくださいました。昔、約束した通りに、罪人に過ぎない私たちのために、神は、私たちの罪を担い、背負い、救い出してくださいました。新約聖書の福音が語る、御子イエスの十字架が、その証拠です。神は嘘つきではない。神の言葉は必ず実現する。そう信じる人々に対して、神はキリストの十字架によって証拠を与えてくださいました。

 これを信じた礼子さんの心の内には「ハレルヤ」との賛美が絶えなかったろうと思います。それを体現していた若い頃も、腰の曲がった晩年も、それは変わらないでいたろうと思います。神は、ご自身の言葉に真実な方で、私の生涯を終わりまで背負っていてくださる。その信仰によって、礼子さんはあの礼子さんであり続けたのではないでしょうか。

 私たちは、その突然の終わり方に、皆衝撃を受けました。斎場で、焼かれて骨になった最後の姿を見るのもとても辛いことです。愛する人を失って悲しむのは当然です。もう地上では会えないことを思うと残念でなりません。けれども、神の約束は真実です。嘆き悲しむ私たちだからこそ、神は放っておくことが出来ないで、慰めの言葉を語り、それを真実に行ってくださいます。

イエス・キリストに背負われた礼子さんの生涯は地上での歩みを終えました。御言葉にある約束の通りに、神は礼子さんを担い続け、ついに天の栄光へと救い出してくださいました。今、その命はキリストの内に迎え入れられて、もはや、欠けているものはなにもありません。後は、やがて来る復活の体を待つだけです。

 ここに集う私たちもまた、信じたいと思います。最後まで責任を持つと神が言っておられるのですから、すべての重荷を主に委ねて、どんな時も恵みの神をほめたたえていたいと願います。私たちにもまた、定められた終わりの時があります。その時に、礼子さんのように確かなゴールインが出来るように、この地上で与えられている時間を大切に過ごしたいと思います。

 

祈り

天の父なる御神、あなたが与えてくださる御言葉と、イエス・キリストの恵みに感謝します。私たちを終わりまで背負ってくださるその愛に、いつも気づいていることが出来ますように、そして、礼子姉妹のように、信仰によって人生の苦しみを乗り越えて、御国の平安にたどり着くことができますよう、私たちを助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。