幻に導かれて

使徒言行録16章6−10節

 

長野・佐久伝道所への召し

 8月1日に佐久伝道所の牧師館に越して来まして、かつて子どもの頃親しんだ中込の町を懐かしく散策して回りました。第二会堂が出来た頃から中込はすっかり変わってしまいましたけれども、古びた温泉などに行きますと、祖父母が暮らしていた家の匂いがそっくりそのまま残っていたりもします。22日に旅行から帰って、すでに佐久でも長野でも説教の奉仕をさせていただいています。早くその日常が板について牧師の働きに専念できるよう願って準備を進めているところです。

 東部中会の伝道委員会から最初にこの招聘を受けたとき、私はすぐにお断りしました。その理由の一つは、教会設立をしたばかりの西神教会には、まだ私のすべきことがあるように思われたからです。これからさらに伝道を進めなければならない。地域と密接に関わった伝道計画を考えなければならない。高齢の会員の皆さんを配慮していかねばならない。牧師の働きがその時行き詰っていたわけでもありませんでした。もう一つの理由は、今回の招聘に何か人間的なものが働いてはいないか、と考えたからです。初めにその話を伝えてきたのは安田直人兄で、彼は私の従兄弟に当たります。数年前には長田詠喜先生が四国から東部中会に移りましたが、先生は私の幼馴染です。伝道委員会の川杉先生や村手先生からもお電話をいただきました。親しい仲間たちと一緒にやってくれないか、とのお誘いでした。それで私はお断りしました。馴れ合いでは伝道できない、とは昔神学生の頃に仲間から言われたことです。むしろ、親しい者たちが全国に散っていた方が大会的には益となる、とお答えしました。佐久伝道所が私の母の母教会であることは皆さんもご存知のとおりです。「預言者は故郷では敬われない」との諺もあります。つまり、御言葉が御言葉として聞いてもらえない恐れがある、ということです。

 そうした交渉が実に一年近く続いたのですが、断ってみたものの、長野・佐久伝道所のことが私の心にずっと留まっていました。長野伝道所は東部中会の記念開拓伝道として始まりましたが、ずっと困難な伝道状況が続いていて、中会では撤退の話も出ました。佐久伝道所はCRCの伝道所として開設されて以来、60年以上の歴史がありますが、頻繁に牧師が変わる厳しい時代も経験してきました。今まで牧会して来られた濱民雄先生がそこへ来て支えてくださったのだと思いますが、先生も現役を引退する時となりました。こうしたことを私は前から知っていましたから、一度はお誘いを断ったものの、その後の交渉をはねつけるようなことはできなかったのだと思います。

 そういう私の気持ちを察した訳ではないでしょうが、村手淳先生は「諦めきれない」と言って、度々電話をくださったり、わざわざ神戸まで車を走らせて来られました。それで一つ思い出したことがあります。村手先生は神学校で私より一つ上の学年の先輩で、神学生の学生会長を務めておられました。会長職は1年で交代ですけれども、ある時、村手先生と辻幸宏先生が私の部屋を訪ねてきて、私に次期会長になるよう勧めました。自分にはそういう賜物はないとお断りしたのですが、村手先生は粘って説得を試みました。なぜ私なのか理由が分からないと言いますと、君には敵が少ないからだと言われて、そんなものかと思って最後はお引き受けしました。

マケドニア人の幻

 招聘について考えている間、私がいつも思い起こしていたのは、パウロに現れたマケドニア人の幻のことです。先ほど、その箇所の御言葉を読みました。『使徒言行録』は使徒たちによる地中海伝道の進展を記録して語りますが、それを人間的な仕業として描くのではなく、聖霊の主導権を注意深く伝えます。それが特にこの短い箇所では顕著です。「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」とあります。聖霊は伝道者たちに恐れるな、為せば成る、と励ますばかりではなくて、時には御言葉を語ることを禁止します。すると伝道者たちはそれに従います。おそらく、パウロたちの近辺には何か問題が生じたのに違いありません。しかし、聖書はそれを記されずに、「聖霊が禁じた」とだけ伝えます。ある時には撤退することも伝道者には求められる、ということです。

 私たち伝道者が道を決めるのは、常に召しによります。召命感です。パウロがマケドニアに向かったのは、幻を見て、そこに召しを確信したからです。しかし、そこに至るまでは、聖霊に道を止められ、イエスの霊に-聖霊と同じことですが-方向転換を迫られて、進むべき道が定められます。こうした道の選択において、伝道者の側の人間的な判断が全く働かないのではないと思います。いろいろ思い悩んだ末に苦渋の撤退を余儀なくしたなどという場合もあるはずです。けれども、それは常に祈りながらの選択です。聖霊による内なる促しを待ちながらの最終判断です。それをしたならば、それを主の御計画として信じて、すべてをお委ねします。

 人の思いが作用しないようにとは、伝道者が召しを受けるときの基本的な心構え、もしくは心の吟味の仕方だろうと思います。牧師の転任に「出世コース」を見る人たちがあります。これは、牧師にもそういう人がありますし、信徒の中にもあります。こちらに来る前、ある教会の方から「御栄転」と言われました。そういうことではありませんよと説明したら驚いておられましたけれども、他には移動する理由がないと考えたのでしょう。

 牧師の出世について私が最初に聞いたのはおそらく神学生の頃です。もっと前であったかもしれません。それはアメリカの教会事情だと聞きました。一つの教会に10年も留まっている牧師は無能と看做される。通常は4〜5年で引き抜かれるもので、それ以上残ろうとしても大抵は教会が許さない。それぐらいの期間で教会が期待する成果が無いときはクビになる、と言われました。もっとも誰からそんな話を聞いたのか忘れてしまいましたが、そういう米国流の仕方が教会だけではなくて企業経営などにも採用されて今日の日本社会があるようにも思います。それが行き渡っているとは言い切れませんが。

 日本でも他所の教団ではそういう教会間の競争や牧師間の格差があるという話は聞いています。より大きい伝統のある教会へ出世するという価値観が共有されている様子は、ある神学校で学んだ学生から話を聞いたことがあります。それはしかし、他人事ではなくて、私たちの教会にもそういう話が実際あります。私が母教会でお世話になった上河原立雄牧師は、よく翻訳を手がけておられた先生ですが、松山教会時代に『田舎牧師の説教集』なるものを2冊ばかり出版しました。そうしたところ、教会員から「田舎牧師とは何事か」とクレームが来たのだそうです。上河原先生は、いや、松山が田舎だと言っているのではなくて、自分は神学校で教えたり、大教会を牧会する牧師ではないという意味だと説明されましたが、その発想の中にすでに「中央と周辺」という意識があるのがわかります。旧日基の伝統を色濃く受け継ぐ先生ならではの観点です。

 出世主義のようなものが教会に作用すると召命感などは建前になってしまいます。他にも様々な人間的な理由が牧師の移動には働きます。サラリーのことばかりではなくて、都会のもっと便利なところに住みたい。空気のよいところに住みたい。人はたくさんいなくていいからのんびりと過ごしたい。それでよいではないかとゆるい空気をどこにでも持ち込みたい人たちは言います。召されたことの吟味で意味するのは、順序なのだと思います。パウロが霊によって行く手を阻まれたのには人間的な理由も関わっているはずです。病気になったとか、金策が尽きたとか、そうした身の回りの事情もあって思うようにならなかった。しかし、幻が示されたときにはすぐに確信が与えられた。神の御旨だとわかったなら、すべてのことを脇においても、そこへ行く。使徒たちにはその準備ができていた、ということでしょう。

招聘を受けた理由

 私が長野・佐久伝道所への招聘を一転して承諾したとき、東部中会の皆さんはどうして受けたんだと怪訝に思ったなどとも聞きました。そこに何か人間的な理由を見ようとすると分からないと思います。私が西神教会を離れたいと思っていなかったことは教会にも伝道委員会にもお伝えしました。ただ、長野・佐久伝道所で苦労をしている皆さんを御言葉によって励ましたいと思いました。その思いが、自分のために教会にとどまることよりも強くなりました。おそらく、私が招聘をお受けしたのはそれ以外に理由はありません。今日、こうして皆さんの祝福と祈りの中で一緒に合併式を行うことができましたが、私に何ができるのか、自信があるわけではありません。けれども、これまで遣わされた幾つもの教会で、説教をし続けて私自身が受けた大きな喜びがあり、恵みを受けてきましたので、御言葉によって皆さんを励ましたいと今は自分から言うことができます。私の心から長野・佐久伝道所のことが離れなかったのは、やはり私にも幻が立ったのだと思っています。「信州に渡って来て、わたしたちを助けてください」とのキリストに向かう声を聞いたと確信したとき、わたしはすぐにお返事しました。

甲信伝道を目指して

 私はこちらへ来て、長野・佐久両伝道所の皆さんのお顔を拝見して、ようやくほっとした思いでいます。パウロが宣教に出て行った先には、彼らが落ち着ける場所があらかじめ用意されたいたわけでもなく、投獄が待っていたりもしました。それでも伝道者は召されれば出て行きます。私たちのところにはそんな障害はありません。長野にも佐久にもすでに教会として牧師と共に歩んできた十分な経験があります。これから二つの群れがどのようにして一つの教会を形作るのか、具体的な話を伺うのも考えるのもこれからですが、それが主の御旨ならば教会設立も必ず果たされると信じます。

 そして、私が考えているのは一つの教会のことだけではありません。改革派教会全体が聖霊の働きによって活性化されることを心から願っています。東部中会が新しい中会の出発に当たって、長野市における開拓伝道が中会全体に活力を与えると宣言して始めたように、今日から始まる長野・佐久での福音宣教の働きが、甲信地区全体の活力となり、さらに遠く広く私たちを周辺の地域に送り出してくださることを期待しています。長野と佐久の間には上田があります。せっかくそこに長田先生がおられるのですから、まだまだ教会が一つ建つのではないでしょうか。松本に住んでいる姉妹がありますし、新潟伝道所もお元気なようです。群馬県には改革派教会はありませんけれども前橋には田無教会が手がけた家庭集会がありました。

 この夏、東京に滞在している間、私が神学校を卒業した時に卒業式のビデオを父と一緒に観ました。榊原康夫先生が大会理事を代表してお話されて、ご本人はこれは説教ではないと前置きして話し始めましたが、立派な説教でした。その中で、誰も何もないところへ行って伝道するのが当たり前でしょ、それで教会が建つのですよ、と言っておられるのを改めて聞きました。そういう思いで昔の先生方は召されて、働いてきたのです。人間の思いだけが働く教会の交わりは、むしろ、霊の働きを阻害するのではないかと考えます。だから、牧師たちには率先して召しに忠実であることを示していただきたいとも願っています。教会は牧師たちを送り出し、また迎え入れる働きを通じて、積極的に伝道の働きにも参与します。福音がいかなる実りを長野・佐久伝道所の上に実らせてくださるのかを、これから一緒に楽しみに見させていただきたいと思います。聖霊のいっそうの励ましを私たちと、甲信地区教会と、東部中会の上にお祈りします。

祈り

父なる御神、あなたは聖霊によって教会を建て上げ、伝道者を送り出し、霊の交わりによってキリストの王国を築いて行かれます。そこに召された私たちの確信を強めてください。そしてあなたの御言葉の素晴らしい御業を私たちの間で見させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。