詩編と礼拝

はじめに

 長野佐久伝道所の牧野と申します。長野県へ赴任して2年が経ちます。北信キリスト教協議会のお仲間に加えていただきまして、今回はこうしてお話しする機会が与えられて恐縮しています。今日は旧約聖書の詩編について一緒に学びたいと思っていますが、私は特別、詩編の研究をした専門家という訳ではありません。神学校を卒業して牧師になる前に、イスラエルに留学をして、聖書の歴史とヘブライ語を学んだ経験がありまして、帰国してからしばらく神学校で旧約聖書の科目を担当していました。また、その頃、私どもの教派で、日本キリスト改革派教会と言いますが、宗教改革の時期にカルヴァンが手がけた『ジュネーブ詩編歌』を教会の讃美歌として出版する準備をしていまして、そのための委員会に配属されたことが、私が詩編の勉強をするきっかけとなりました。自分で翻訳をしながら、説教集を昨年1冊出しましたけれども、詩編についての理解をいくらか深めたところで今日はお話しさせていただく、ということです。

 そこで、今回のお話は、詩編の歴史的背景とかではなくて、それと礼拝との関係についてです。そもそも『詩編歌』なるものが作られたのは、聖書の言葉そのもので賛美をささげたい、という教会的な動機からです。では、詩編は、そもそもそういう動機で作られたり用いられて来たのかどうか、という辺りのことも、今日の讃美歌事情と合わせて知りたいところです。詩編は旧約聖書に含まれますから、それを聖典としてきたユダヤ教にもおそらく礼拝で用いた歴史があるでしょうし、キリスト教会にも独自の理解があって今日に至るまで詩編を用いています。皆さんの関心と合うかどうか心もとありませんが、今日はそういうところのお話をすることにします。

 

詩編はいつから礼拝で用いられ始めたか

 旧約聖書の『詩編』には数多くの様々なタイプの型がありますが、どれも神に選ばれたイスラエルの民が、歴史の途上で神と出会った際に、信仰の応答として発せられた言葉のささげものである、と言えようかと思います。詩編の中の、あるものは賛歌であって、救いの喜びが率直に表されて、声高らかな賛美が神にささげられます。また、あるものは嘆きであり、追いつめられた人の苦しみが神に向かい、救いが率直に祈願されます。また、あるものは信仰告白であって、救いの歴史を歌にして物語り、神の慈しみ深さを詩的に表現します。これらはすべて、イスラエルの民にとっては、教育的な目的も持っていると思われます。詩編第1編や119編などが代表的なもので、その枠組みから察せられることですが、自分たちに続く世代が親たちの信仰を正しく継承するために、神から与えられた知恵としても用いられている。いわば、古代イスラエルのカテキズムともいえる役割を果たします。

個々の詩編に当たりますと、そこには一人の祈り手が、今置かれた困難の中で、切々と救いを願うような祈りもありますが、そうした個人の祈りも含めて、詩編はイスラエルの民が共同で用いるように編纂された礼拝書です。

 かつて、詩編は「第2神殿時代の賛美歌集」だと言われました。「第2神殿時代」とは、エズラ・ネヘミヤ以降、ペルシア時代に再建されたエルサレム神殿の時代です。紀元70年にローマに破壊されるまでがその期間です。詩編の多くはその時代に作られたものと考えられますが、中には王国時代にまで遡るものも保存されているようです。

旧約聖書の中に、詩編を礼拝で用いている事例があります。例えば、神殿ではレビ人の聖歌隊が詩編を歌い、会衆はそれに応答の言葉を添えて「ハレルヤ」と声を挙げたり、「慈しみはとこしえに」などと唱和していた様子が、歴代誌に登場します(歴代誌下512-13節、73,6節)。歴代誌下5章を見ますと、立派なオーケストラによる奏楽も伴われていた様子が描かれています。お読みしますと、

レビ人の詠唱者全員、すなわちアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子らと兄弟らは、麻布の衣をまとい、シンバル、竪琴、琴を持ち、百二十人のラッパ奏者の祭司たちと共に祭壇の東側に立っていた。ラッパ奏者と詠唱者は声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた。

詩編に時々散見される「セラ」という注がありますが、歌の合間に楽器の演奏が挟み込まれる合図だったのではないか、とも言われます。また、詩編の表題に出てくる、「アサフ」ですとか、「コラの子ら」ですとかの名前は、合唱隊の指揮者や歌い手たちで、それぞれに詩編集の編纂に携わったものと思われます。

詩編は全部で150編ありますが、そのうち73の詩編は「ダビデ」のものとされて、さらにその内の13のものには、その詩に関わる歴史的な状況が記されています。しかし、こうした表題は、詩編集を最終的に編纂した編者が加えたものだと考えられています。

 そして、その表題の中に、演奏に用いる楽器を指示するものがあります。残念ならがそれらの楽器は今日まで残っていませんので、それが何であったのかを正確に述べることはできませんが、翻訳では、一応、琴ですとか竪琴とか、それらしいものが当てられています。今日まで残っている、古代イスラエルの楽器が一つあります。それは、「ショファル」― つのぶえです。羊の角で作ったラッパですが、大きな祝祭の日に、民を招集する合図として、これを鳴らします。

 神殿での礼拝を最もよく伝えているのは、新共同訳の続編にある『シラ書』50章です。そこでは、紀元前3世紀末から2世紀初頭にかけてユダヤの民を指導した大祭司シモンが称えられています。そして、彼が礼拝でどのように振舞ったかが描写されています。

彼が輝かしい衣をまとい、華麗な衣装に身を包み、聖なる祭壇に登ると、聖所の境内は輝いた。彼が祭司たちの手からいけにえを受け取り、祭壇の炉の傍らに立つと、その周りを兄弟たちが冠のように囲んだ。それはあたかも、レバノンの若杉が、しゅろの木に囲まれているようであった。アロンの子らも皆、輝かしく装い、主への供え物を両手に捧げ、イスラエルの全会衆の前に立った。シモンは祭壇での祭儀を終えると、全能のいと高き方への供え物を調え、杯に手を伸ばして、ぶどうの汁をそこに注ぎ、祭壇の台座に振りかけて、万物の王、いと高き方へのかぐわしい香りとした。そのとき、アロンの子らは声をあげ、銀のラッパを吹き鳴らし、大音響をとどろかせて、いと高き方が彼らを思い出してくださるようにした。そのとき、民は皆、急いで地に顔を伏せ、全能のいと高き神である彼らの主を礼拝した。合唱隊は声高く賛美の歌をうたい、その響きはたぐいない、美しい調べとなった。民はいと高き方である主に願い求め、慈しみ深い方に祈りをささげた。それは主への賛美が終わるまで続けられ、こうして彼らは祭儀を終えた。それから、シモンは降りて来て、イスラエルの全会衆の上に両手を差し伸べ、自らの唇をもって主の祝福を与え、誇らかに主の御名を唱えた。民は再びひれ伏し、いと高き方の祝福を受けた。(11-21節)

 

ユダヤ会堂とキリスト教会での礼拝における詩編の使用

 ユダヤ教の会堂での礼拝が開始された時期については精確なことは分かりませんが、捕囚期に成立したとするのが最も一般的な見解です。神殿がバビロニア軍によって破壊されてしまった後、パレスチナと離散地とで、ユダヤ共同体は会堂に集まることで信仰の熱心と神の掟への忠実さとを守った、ということです。

もっと早い年代を考える別の見解もあります。ヘブライ大学で王国時代の歴史を教えているイスラエル・エフアル教授によりますと、会堂の始めはヨシュアによる宗教改革時だと言います。ヨシュア王が行った改革事業の目玉は、地方聖所を廃止して、エルサレム神殿に礼拝を限定することでした。それによって、偶像崇拝から王国を清めようとした訳です。しかし、地方聖所の廃止されるということは、各地域での犠牲祭儀が実施できなくなった訳でして、その代わりに、会堂では動物犠牲ではなく祈りが民衆の礼拝形態となった。従って、会堂の成立と祈祷の開始はパレスチナ起源であって、捕囚地ではその習慣を引き継いだのに過ぎない、といいます。

考古学的資料に基づく証言は、シナゴーグの存在は紀元前3世紀半ばのエジプトから確認されます。文書資料による証言は最も古いものでも初期キリスト教の時代になりまして、新約聖書やフィロン、ヨセフスの著作から会堂の様子を幾らか知ることが出来ます。ユダヤ教の伝承ではシナゴーグはモーセの時代に由来する、としています。

 会堂は単なる礼拝所ではなくて、ユダヤ共同体の生活に多くの目的で用いられました。安息日や他の聖日には、礼拝のための集会所になりましたが、そこはまた学校ともなって、子どもから成人に至る教育が行われました。また、宗教的な目的以外にもユダヤ共同体の必要に応じて集会所として用いられましたし、多くの会堂には旅行者や巡礼客のための宿泊施設が備わっていました。紀元70年にエルサレム神殿がローマによって破壊されて以降は、会堂はユダヤ教の中心的な宗教施設となって今日に至ります。

 初期キリスト教時代のユダヤ人の会堂で行われていた礼拝の基本的な要素は次の通りです。

ユダヤ教の信仰告白でもある「シェマーの祈り」(申命記6章)の朗誦、トーラー(律法/五書)の連続的な朗読(パラシャー)と、続く預言書からの一部の朗読(ハフタラー)、それらの解説と適用、神への感謝と祈り。祭司がいれば、神殿での礼拝と同じような祝福が求められたようです。

 そこで、多くの祈祷文には詩編の文言が部分的に含まれていましたが、一つの詩編丸ごとが会堂の礼拝で歌われるようになったのは、かなり遅い時期だと言われます。議論のあるところですが、おそらく、神殿礼拝での特定の日や祝祭に割り当てられた詩編が、早い時期から会堂でも用いられるようになったものと思われます。たとえば、過越祭には詩編113-118編のハレル賛歌を歌う、とかです。その習慣を引き継ぐかたちで、初期キリスト教の礼拝でも詩編を使用した、ということのようです。他方、キリスト教礼拝での詩編集の使用はユダヤ教会堂での導入よりも早いと考える人もあります。

 礼拝式(リタージー)で詩編を用いるようになった時の、ユダヤ教会堂での場合と、キリスト教会の礼拝との間には共通点と相違点とがある、と、シェパードという先生が分かり易く整理してくれていますのでご紹介します。まず、共通点としては以下のようなことが挙げられます。

  詩編は朗誦者によって歌われ、会衆による復唱や答唱を交えるが、神殿の合唱隊のようなものはない。

  詩編には楽器の伴奏はない。会堂や教会の指導者は、楽器の使用を「霊性にもとる」とし、それを異教礼拝と結びつけた。

  朗誦は、抑揚や韻律を伴う単調なもの。それはテキストの意味に基づいてなされ、聖書朗読でも詩編でも、歌うときには「ハレルヤ」のように祝辞を伴う。

相違点としては

  聖書朗読の合間に詩編を用いるのはすべてのキリスト教礼拝の特徴であるが、8世紀以前のユダヤ会堂では見られない。

  ある一定の周期に基づいて、詩編全体が連続して朗誦されたり歌われたりするのは、キリスト教の聖書日課や、教会暦の特定の季節や聖餐式に振り分けられた詩編を通して行われた。ユダヤ教礼拝では、神殿でも会堂でも、すべての詩編が用いられたのではなく、連続して読むように指示されたこともない。大祝祭日のハレル詩編(113-118)は例外。

 ユダヤ教とキリスト教に共通する礼拝の古い形を探して、西欧文化の影響を免れてきた地域のユダヤ共同体の会堂音楽を収録する作業が今日でも行われています。トランスコーカサスとイエメンにあるユダヤ人共同体は、キリスト教会の古代の朗誦と非常によく似た旋律の型を今日まで保存していると言います。個々の旋律がお互いにどのような関係にあるかを具体的に表すことはできませんが、ユダヤ会堂とキリスト教会との間には何らかの連続線が見られるのは確かなようです。

 こうして、キリスト教でもユダヤ教でも詩編の詞はその最も初期の頃から、公的にも私的にも礼拝で用いられてきましたが、その使用方法はまちまちで、まず、部分的に詩編の言葉が引用されてきたものが、後には一つの詩編を讃美歌や祈祷文として用いるようになります。ユスティヌスやテルトゥリアヌスなど教父たちの証言によりますと、最古のキリスト教会の礼拝では、西方でも東方でも、聖書朗読が3箇所からなされています(E.Werner, p.58)。それぞれ、旧約、使徒書、福音書です。旧約聖書が読まれた後で詩編が朗誦者によって読まれ、それに続いて使徒の書簡が読まれ、ハレルヤが歌われて、福音書が読まれるという順序でした。キリスト教会では、そうして詩編が礼拝の中にしっかりとした位置づけをもつに至りました。

 

旧約の詩編はキリスト教会の信仰に相応しいか?

 さて、次に詩編を教会の礼拝で歌うことの問題を考えて見たいと思います。詩編には直接イエス・キリストの名が現れませんから、キリスト教の礼拝には相応しくないのではないか、と考える人もあります。そこで、まず、教会はどういう意味で詩編を読み、礼拝に採用したのかを振り返ってみます。新約聖書が、まず、その手がかりです。

新約聖書で詩編が引用されている例は全部で93回です。そこで採用されている詩編の数は60以上ありまして、詩編は新約聖書で最も多く引用されている書物です。そして、詩編を最も多く引用している新約の書物は福音書です。福音書記者は、イエスの受洗や荒野の誘惑、奉仕や教え、特に受難において成就した預言の証拠聖句に詩編を多く加えています。

マタイによる福音書2142節に「ぶどう園と農夫」のたとえがあります。神殿におられるイエスに祭司長や民の長老たちが詰め寄ったときに語られた話ですが、イエスは詩編11822節を引用して例えの解説を締め括っています。

聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。

イエスは、詩編の詞をご自身に当てはめて、そう言われた訳です。

また、ルカによる福音書によれば、主イエスの最後の委託が次のように弟子たちになされています。

わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。(24:44

つまり、詩編は、モーセの律法と預言者の言葉と同じように、イエス・キリストにおいて成就を見る預言だ、とイエスが言っている。

 次に、使徒たちの証言を挙げてみたいと思いますが、ペトロもまた、最初のペンテコステの教会で説教する中で、預言書のヨエル書に加えて、詩編16132110編を引用しています。そして、ダビデをキリストの復活と昇天を事前に告げた預言者と呼んでいます。使徒言行録225節以下を、少し長いのですがお読みします。

ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』 兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』(使徒言行録225-35節)

同じように、使徒言行録1316節以下にある、アンテオケでのパウロの最初の説教にも、詩編89216編が引用され、イザヤ書やハバクク書のテキストと一緒に用いられています(使徒言行録13:16-41)。

使徒ペトロもパウロも自分の記した書簡で詩編をよく引用し、預言的な文脈と同様に教育的な目的にも用いています(3:10-18、ペトロ一3:10-12)。例えば、ローマ書310節以下では、詩編141-3節を初めとする複数のテキストから言葉が選ばれていますが、そこにはイザヤ書の言葉も交えられて次のように表されます。

既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない

ヘブライ書の著者も特別に詩編を好んで用いまして、キリストの受肉と昇天、永遠の祭司職といった教理の根拠としています。そこでは詩編110編が重要な証拠聖句とされています。

また、ヨハネの黙示録と詩編との間にも深いものがあります。黙示録が描き出す終末の賛歌には、詩編の賛歌が取り込まれています。子羊の宴席へ招く賛歌として、ハレル詩編(113-118)が用いられることなどはその顕著な例です(黙示録19:4-7)。

わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。(19:6

 初代のキリスト者にとって詩編は「ダビデの預言」でした。詩編は、ダビデ王に対する神の約束の成就であるお方、イエス・キリスト示すものでした。その、ダビデ王に対する主の約束は、サムエル記下7章で預言者ナタンを通じて次のように与えられたものです。

あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。(サムエル記下7:12-14

この約束はダビデの子ソロモンにおいて成就したかに思われますが、ナタンの預言はダビデの王座に永遠に約束されたものと理解されて、詩編132編では、来るべきメシアに対して、そのナタンの預言が適用されて、次のように歌われます。

主はダビデに誓われました。それはまこと。思い返されることはありません。「あなたのもうけた子らの中から/王座を継ぐ者を定める。あなたの子らがわたしの契約と/わたしが教える定めを守るなら/彼らの子らも、永遠に/あなたの王座につく者となる。」(詩編132:11-12

イスラエルの王を称える古い「王の詩編」は、古代ユダヤ教では来るべきメシアとして解釈されました。それらはすべてのキリスト者にとって、神の子であるのと同時にダビデの子であるイエス・キリストを指すと理解することができました。

そこで、福音書がイエス・キリストのエルサレム入城を描く際にも、詩編11826節に基づいて民衆の歓声が記されます。

ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。(マルコ11:9-10

同じようにして、イエスのゲッセマネの苦悩や十字架の苦難では、詩編の中からあらゆる嘆きの声を汲み上げます。福音書の受難物語は、それらの詩編を度々参照しながら、イエスの苦難を描き出します。重要なのは特に22編と69編です。

わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」(22:7-8

嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません。人はわたしに苦いものを食べさせようとし/渇くわたしに酢を飲ませようとします。(69:20-21

イエス・キリストが、詩編にある王権の理想を完成させ、神の忠実で正しい僕の苦難をすべて受けられました。それによって、神の民であるイスラエルの運命も、キリストにあって選び分かたれた「新しいイスラエル」である教会へと分岐しました。従って、詩編に登場するイスラエルの敵は、教会の迫害者を指すものとなります。あるいは、さらに象徴的に解釈すれば、教会の信仰と希望を試み、傷つける、内外の霊的な敵だと言えます。たとえば、詩編44編にはこうあります。

我らはあなたゆえに、絶えることなく/殺される者となり/屠るための羊と見なされています。(詩編44:22

この嘆きは、迫害に晒されたイスラエルの苦難を表しています。しかしこれは、神の召しに従った義人の苦しみとして、キリストの十字架を経由して、教会にもたらされる宣教の苦難となります。パウロはローマ書836節で次のように告白します。

「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

預言者たちのように、詩編は、異邦人への世界宣教を予告しています。パウロはイザヤ書の言葉に詩編194節を合わせて、使徒の宣教に適用して次のように言います。

 「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。(ローマ10:18

たくさんの箇所を上げましたが、こうして、新約聖書の至る所で明らかなのは、詩編はキリストに対する預言であって、初代のキリスト者たちは、詩編の言葉の内にキリストを見出し、キリストの御業の内に詩編の言葉を見出していたと分かります。同時にそれは、福音書が伝えるように、イエスご自身が弟子たちに教えておられたことでした。

新約聖書でのキリスト預言としての詩編の受け止め方は、教会の礼拝で詩編を用いる際の鍵となります。それは、詩編を「キリスト論化」すること、と呼ばれてきました。どの詩編も、父と子との間で交わされた言葉であり、それ故に、キリストを介して神と教会との間でなされる対話として読むことができます。

詩編の歴史的な解釈が重要視されるあまり、キリスト教正典のもつ詩編と新約聖書との神学的な脈絡を退けてしまう傾向が無かっただろうかと思います。詩編の一編を記した詩人の心情に遡ることが、その霊的リアリティーに迫ることであるとする現代の注解書が多くありますが、詩編は必ずしもそういうものとして信仰共同体に機能してきたものではなく、むしろ、共同体の信仰の模範であると同時に、そこに神の憐れみと真実とを啓示する聖典として読まれてきたのですから、その本来の目的に即した受け取り方をするのが教会としては妥当な解釈だと思われます。また、釈義からしても、個々の詩人の心情に遡るのは思ったより困難なことで、詩編の言葉の特質は共同体の内に働くその強力な保守性にあります。

 

詩編に表される復讐や呪いは礼拝に相応しいか?

 さて、詩編を礼拝で用いる際のもう一つの問題を取り上げておきます。それは、詩編の中に度々現れる復讐の叫びについてです。例えば、詩編94編の冒頭には、次のような呼びかけがあります。

主よ、報復の神として/報復の神として顕現し、全地の裁き手として立ち上がり/誇る者を罰してください。(1−2節)

「報復」と聞きますと、私たちキリスト者は戸惑うのでして、他方では聖書は「報復してはならない」といいますし、キリストの愛こそがすべてと思っているわけです。けれども、詩編はこういう人間の情念を露にする点で容赦ありません。そして、詩編によれば、神は報復する神であり、罪に対しては徹底的な裁きをもって臨むお方です。

そこで、まず、私たちは、旧約時代にイスラエルにご自身を啓示された方は、そのような義なる神であることをそのまま認めなくてはならないと思います。先ほどの94編に帰れば、報復が叫ばれている理由が次のように述べられています。

 主よ、彼らはあなたの民を砕き/あなたの嗣業を苦しめています。やもめや寄留の民を殺し/みなしごを虐殺します。(5−6節)

報復を願う呪いや強い怒りは、世界の不正義から生じています。弱い者を虐げる者たちがあり、そこで犠牲となっている者たちが報復を願います。神の怒りや報復、裁きという問題が取り上げられるところでは、世界の正義が問題になっています。ですから、神はご自身の義に基づいて、やもめや寄留者や孤児を虐殺するような世界に必ず報復されます(その方法については新約聖書で定められた通りです)。

また、不正義によって苦しむ人に、復讐の詩編は言葉を与えてくれます。94編は次のような言葉で締め括られます。

彼らの悪に報い/苦難をもたらす彼らを滅ぼし尽くしてください。わたしたちの神、主よ/彼らを滅ぼし尽くしてください。(23節)

私たちはこうした詩編の言葉に触れて、このように叫ぶことを余儀なくされた、多くの犠牲者たちを想い起こします。誰の犠牲になったかといえば、様々な人の罪です。罪は自分で切り捨てることができませんから、見ないことにするのは大きな偽りです。報復や呪いの詩編は、私たちに神の義と人間の罪に対する感覚を甦らせてくれます。

 神は詩編の言葉に合わせて叫ぶ、犠牲者たちの報復の声を、そのまま聞き挙げておられます。復讐の呪いの言葉を吐くその人にとっては、神が聞いてくださることそれ自体が慰めに違いありません。詩編はそういう者たちの傍らに寄り添う言葉も蓄えています。

ただ、私たちはそこで、神の復讐を容認するだけでは終わりません。犠牲者たちの声に対する神の応えは、必ずしも彼らの願った形での報復ではありませんでした。報復は果たされなければ正義が守られず弱い人々が救われませんが、罪を犯した人間を赦すことができなければ、世界は神の前に滅びる他はなくなります。報復は、果たされます。しかし、その裁きを受けるのは、神が御自分で用意された我が子です。そうして、神は世を憐れむと同時に義を果たされる。詩編に表れる報復の願い、裁きの告知は、いずれもキリストの十字架を呼び起こします。私たちは復讐・呪いの詩編の言葉によって、十字架のもとに導かれ、そこで主の厳かなお答えをいただきます。

詩編と礼拝とのこうした難しい問題の一つは、詩編が礼拝で説教されていないせいではないかと思います。これは私個人の意見ではなく、何人かの先生方が仰ったことでもあります。詩編のキリスト論的解釈などは、おそらく、ここで私などがお話しするまでもなく、既に教会に行き渡っている詩編の読み方だと思っていましたが、古い信徒さんから先ほどのような「詩編にはキリストが出てこない」というお手紙をいただいたことがあります。150編全体の講解は聞くも語るも至難の技ですが、詩編に関する幾つかの研究書がお手本としてありますように、主題ごとに選んで、集中して学ぶことで教会が再び詩編を用いる備えができるのではないかと思います。


レジュメ

 

北信キリスト教協議会講演会 2019617日(月) 於日本基督教団長野教会

 

詩編と礼拝/牧野信成(日本キリスト改革派長野佐久伝道所)

 

はじめに

 日本キリスト改革派教会による『150のジュネーブ詩編歌』出版(年)

1.詩編はいつから礼拝で用いられ始めたか

 A.詩編の諸様式にみる信仰のかたち

    種々の類型:賛美・祈り・信仰告白・カテキズム、など。

詩編は、神に選ばれたイスラエルの民が、歴史の途上で神と出会った際に、信仰の応答として発せられた言葉のささげもの。古代イスラエルのカテキズム。

 B.旧約時代の神殿礼拝

   エルサレム神殿での礼拝① 歴代誌下512-13節、73,6

レビ人の詠唱者全員、すなわちアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子らと兄弟らは、麻布の衣をまとい、シンバル、竪琴、琴を持ち、百二十人のラッパ奏者の祭司たちと共に祭壇の東側に立っていた。ラッパ奏者と詠唱者は声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた。新共同訳

   エルサレム神殿での礼拝② 『続編』シラ書5011-21節 

彼が輝かしい衣をまとい、華麗な衣装に身を包み、聖なる祭壇に登ると、聖所の境内は輝いた。彼が祭司たちの手からいけにえを受け取り、祭壇の炉の傍らに立つと、その周りを兄弟たちが冠のように囲んだ。それはあたかも、レバノンの若杉が、しゅろの木に囲まれているようであった。アロンの子らも皆、輝かしく装い、主への供え物を両手に捧げ、イスラエルの全会衆の前に立った。シモンは祭壇での祭儀を終えると、全能のいと高き方への供え物を調え、杯に手を伸ばして、ぶどうの汁をそこに注ぎ、祭壇の台座に振りかけて、万物の王、いと高き方へのかぐわしい香りとした。そのとき、アロンの子らは声をあげ、銀のラッパを吹き鳴らし、大音響をとどろかせて、いと高き方が彼らを思い出してくださるようにした。そのとき、民は皆、急いで地に顔を伏せ、全能のいと高き神である彼らの主を礼拝した。合唱隊は声高く賛美の歌をうたい、その響きはたぐいない、美しい調べとなった。民はいと高き方である主に願い求め、慈しみ深い方に祈りをささげた。それは主への賛美が終わるまで続けられ、こうして彼らは祭儀を終えた。それから、シモンは降りて来て、イスラエルの全会衆の上に両手を差し伸べ、自らの唇をもって主の祝福を与え、誇らかに主の御名を唱えた。民は再びひれ伏し、いと高き方の祝福を受けた。

詩編の行間「セラ」 歌の合間に楽器の演奏が挟み込まれる合図(?)

詩編の表題からのヒント(編集者によって付加されたもの)

「アサフ」「コラの子ら」 合唱隊の指揮者や歌い手たち、詩編集を編纂。

 楽器の指示:実際のところは不明。現存する最古の楽器はショファル(角笛)

C.ユダヤ会堂とキリスト教会での礼拝における詩編の使用

   会堂(シナゴーグ)の起源:バビロンか、パレスチナか。

                考古学による発掘 前3世紀エジプト

                文書資料 新約聖書、フィロン、ヨセフス

初期キリスト教時代のユダヤ人会堂で行われていた礼拝の基本的な要素

・「シェマーの祈り」(申命記6章、ユダヤ教の信仰告白)の朗誦

・トーラー(律法/五書)の連続的な朗読(パラシャー)

・ネビイーム(預言書)からの抜粋の朗読(ハフタラー)

・それらの解説と適用

・神への感謝と祈り。祭司がいれば、祝福。

詩編の使用:祝祭日に割り当てられた詩編がキリスト教会に継承(?)

 

   会堂と教会の共通点と相違点

【共通点】

1.   詩編は朗誦者によって歌われ、会衆による反復や応答を交えるが、神殿の合唱隊のようなものはない。

2.   詩編には楽器の伴奏はない。シナゴーグや教会の権威は、楽器の使用を「霊性にもとる」とし、それを異教礼拝と結びつけた。

3.   朗誦は、抑揚や韻律を伴う単調なもの。それはテキストの意味に基づいてなされ、聖書朗読でも詩編でも、歌うときには「ハレルヤ」のように祝辞を伴う。

【相違点】

1.    聖書朗読の合間に詩編を用いるのはすべてのキリスト教礼拝の特徴であるが、8世紀以前のシナゴーグでは見られない。

2.    ある一定の周期に基づいて、詩編全体が連続的に、朗誦されたり、歌われたりするのは、キリスト教の聖書日課や、教会暦の特定の季節や聖餐式に振り分けられた詩編を通して行われた。ユダヤ教礼拝では、神殿でも会堂でも、すべての詩編が用いられたのではなく、連続して読むように指示されたこともない。大祝祭日のハレル詩編(113-118)は例外。

 

2.礼拝で詩編を用いることの諸問題

A.旧約の詩編は新約の教会に相応しいか?

   新約聖書における詩編の引用―キリスト預言としての詩編

聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。(マタイ2142節 cf. 詩編11822節)

 

わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。(ルカ2444節)

 

ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』(詩編16編) 兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』(詩編132編)と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」(詩編110編)』(使徒言行録225-35節)

 

パウロの説教 使徒言行録1316節以下;詩編89216編の引用

パウロやペトロの書簡 ローマ3:10-18;詩編14:1-3; 1ペトロ3:10-12 

ヘブライ人への手紙 キリストの受肉・昇天・永遠の祭司職  詩編110編

ヨハネの黙示録 終末の賛歌 19:4-7 ハレル詩編(113-118

 

初代キリスト教会にとって詩編は「ダビデの預言」

詩編132編によるナタン預言(サムエル下7:12-14)の適用

ナタン預言 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。(サムエル記下7:12-14

主はダビデに誓われました。それはまこと。思い返されることはありません。「あなたのもうけた子らの中から/王座を継ぐ者を定める。あなたの子らがわたしの契約と/わたしが教える定めを守るなら/彼らの子らも、永遠に/あなたの王座につく者となる。」(詩編132:11-12

 

王の詩編→来るべきメシア(古代ユダヤ教)→ダビデの子キリスト(教会)

 

イエスのエルサレム入城 マルコ11:9-10詩編118:26

ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。

 

イエスの受難物語 

わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」(詩編22:7-8

嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません。人はわたしに苦いものを食べさせようとし/渇くわたしに酢を飲ませようとします。(詩編69:20-21

 

キリスト教会への迫害;イスラエルの敵=教会の迫害者

我らはあなたゆえに、絶えることなく/殺される者となり/屠るための羊と見なされています。(詩編44:22

「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。(ローマ8:36

 

   異邦人への世界宣教

「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。(ローマ10:18

詩編19:4

 

◎詩編はキリスト預言。初代のキリスト者は、詩編の内にキリストを見出し、キリストの内に詩編を見出していた。詩編のキリスト論化。→礼拝での使用

   

B.詩編に表される復讐や呪いは礼拝に相応しいか?

  詩編94編の例

(神の報復)主よ、報復の神として/報復の神として顕現し、全地の裁き手として立ち上がり/誇る者を罰してください。(1-2節)

(報復の理由)主よ、彼らはあなたの民を砕き/あなたの嗣業を苦しめています。やもめや寄留の民を殺しみなしごを虐殺します。(5-6節)

(犠牲者たちの言葉)彼らの悪に報い/苦難をもたらす彼らを滅ぼし尽くしてください。わたしたちの神、主よ/彼らを滅ぼし尽くしてください。(23節)

→報復や呪いの詩編は、私たちに神の義と人間の罪に対する感覚を甦らせてくれる。

 神は犠牲者たちによる報復の声に耳を傾けておられる。

 報復の詩編は、キリストの十字架を呼び起こす。←神の答え

おわりに

 詩編に学ぶ、詩編から説教する必要

 

■参考文献

Ismar Elbogen, Jewish Liturgy: A Comprehensive History,trans. Raymond P. Scheindlin, Jewish Publication Society, 1993.

Willian L. Halladay, The Psalms through Three Thousand Years: Prayerbook of a Cloud of Witnesses,Fortress, 1993.

Massey H. Shepherd Jr.,The Psalms in Christian Worship: A Practical Guide,Augsburg Publishing House, 1976.

Eric Werner, The Sacred Bridge: Lturgical Parallels in Synagogue and Early Church, Schocken, 1970.