2018年甲信地区一日修養会 7月16日(月・休) 於かんぽの宿諏訪

講演「詩編を歌う喜び」牧野信成(長野佐久伝道所宣教教師)

 

 今回の講演の主題は「詩編を歌う喜び」としましたが、一度は皆さんの前でこのお話をしたいと願っていました。長野佐久伝道所では、この学びをする前に、すでに礼拝や祈祷会でジュネーヴ詩編歌を用いています。どのような讃美歌を教会で用いるかは小会の判断に任されていますが、私はジュネーヴ詩編歌を是非用いたいと願っています。その理由も含めて、私たち改革派教会の礼拝ではどのような讃美歌が求められているのか、全般的なことはお話しさせていただこうと思います。

公的礼拝における賛美

 私たちの教会には『教会規定』の中に「礼拝指針」がありまして、そこで礼拝の中での賛美のあり方についても大枠が示されています。それを無視して話を進めても混乱しますので、そこに書かれている指針を手がかりに、少し内容を補いながらお話しします。お手元に資料としてお配りしたものをご覧ください。

 まず、「礼拝指針」第3章に「公的礼拝の規定」がありまして、第9条に礼拝の要素が列挙されています。それをご覧いただきますと「神の民の音楽と歌唱による賛美」と賛美を歌うことが明確に位置付けられています。注意深い言葉遣いで、ここには賛美の内容がすでに示されています。賛美が「歌唱」であるということは、私たちは経験上よく知っていますが、「音楽と歌唱」と言われます。ですから、歌う場合ではない賛美の仕方があるということです。これはオルガンの奏楽がそうだろうと察しがつくわけですが、後で見ますように第8章の詳細な規定でも「オルガン」とは限定されていません。ですから、ここは賛美歌に関わらず、音楽が礼拝に用いられることが言われているわけです。

 それから、「神の民の賛美」とあります。教会が前提となっているわけですね。キリストに結ばれた民の、キリストへの信仰に基づく神賛美が、音楽と歌によって神にささげられます。これは賛美について考える上での重要なポイントです。歌唱も演奏も共同体の礼拝として行われます。

 そして、「御言葉にしたがい」と終わりの方にありますが、聖書の規範性が礼拝全般にかけられています。詩編歌のように聖書の御言葉を直接歌うばかりではなくて、賛美歌を作ったり選んだり、それを演奏したりする場合にも、公的礼拝で行われる賛美は聖書の教えに則ったものである必要があります。

 そこで、「礼拝指針」第8章の「公的礼拝における詩編歌と賛美歌の歌唱、および音楽」とあるところをご覧ください。第23条には「詩編歌と賛美歌」とありまして、「キリスト者は、公的礼拝において、詩編歌や讃美歌その他、礼拝にふさわしい歌を歌うことをもって神を賛美する」となっています。賛美をするのは当然である、というような言い方ですが、旧い「礼拝指針」の第10条では「音楽によって神を賛美することは、義務であり、また特権である」とありまして、この方がはっきりとものを言っています。「義務であり、特権である」と聖書から教えられている、ということです。

 例えば、詩編102編19節に「主を賛美するために民は創造された」とあります。これは、音楽は人間に本質的なものだ、ということを第一に言うのではなくて、神は人間を救ってご自身の栄光を示されて、その御業をほめたたえるためにご自分の民を集められた、ということです。102編の続きにこうあります。20節以下です。

 主はその聖所、高い天から見渡し/大空から地上に目を注ぎ、捕われ人の呻きに耳を傾け/死に定められていた人々を/解き放ってくださいました。シオンで主の御名を唱え/エルサレムで主を賛美するために、諸国の民はひとつに集められ/主に仕えるために/すべての王国は集められます」(20-23節)。

賛美は神の民に本質的なことで、それは特権であり、義務である、ということができます。そこには救われた喜びと、またそれゆえに神に期待することのできる希望がありますから、義務と言われても積極的に果たすことができるものですが、私たちの方の気分によって賛美したりしなかったり、というものではないこともここから分かると思います。神をほめたたえることは私たちが礼拝を通して行う務めであり奉仕です。そもそも主の民がこぞって御前に進み出る公的礼拝そのものが奉仕であることは、「礼拝指針」の前文にも書かれている通りです。公的礼拝はそこに救いの恵みが注がれる、神ご自身による奉仕ではありますけれども、私たちがなすべき応答は礼拝を成り立たせるのに欠かせない、私たちの側からの奉仕です。あまりに「恵み」が強調されて、それに伴うはずの義務的な側面が礼拝から失われますと、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っている」(士師記21章25節)世の中にあっては、公的礼拝そのものが存続できなくなる恐れがあります。

 

礼拝にふさわしい音楽

 では、「礼拝指針」の第23条にある「礼拝にふさわしい歌」、それと第24条にある「神への礼拝に仕える音楽」とは一体どういうことか。「聖書にしたがう」との指針を先に見ましたが、聖書が与える具体的な指針はわずかです。旧約聖書を調べてみますと、音楽と信仰の結びつきは案外随所で見つかるのですが、公的な礼拝の場で、つまりイスラエルの民の集いで音楽が用いられた例は、エルサレム神殿での実践に集約されます。そこではダビデの伝統を受け継ぐレビ人たちが専門の音楽家集団を作り、詠唱者、聖歌隊、竪琴やラッパによるオーケストラが編成されています。しかし、モーセの律法で音楽が命じられている箇所は一つもありません。唯一、申命記31章で、モーセが歌を後の世に伝えるよう命じているところがあります。

 あなたたちは今、次のを書き留め、イスラエルの人々に教え、それを彼らの口に置き、このをイスラエルの人々に対するわたしの証言としなさい。(31章19節)

そして、続く32章で「モーセの歌」が記されます。これを後々に伝えよと命じた理由はその内容が神の救いの証であり、教えであるからで、これに旋律がつけられるとか、楽器の伴奏とかは問題になりません。強いて言うならば、歌は記憶のためです。旧約聖書にあるイスラエルの歌は古文体のものが多いのでして、それは歌の言葉の保守性をよく表しています。つまり、歌は記憶を助ける働きがある、ということです。

 新約聖書にもイエスと弟子たちが賛美を歌ったという記述がありますし、黙示録には旧約聖書の神殿のイメージによるところの、神の民による荘厳な賛美が描かれたりもしていますが、公的礼拝での音楽の使用については直接的・具体的な指示は特になされてはいません。ですから、「礼拝にふさわしい音楽」とは何かと考える時の基準は、その音楽に盛り込まれる内容に重点が置かれることになります。つまり、音楽は言葉に従属する。歌で言いますならば、歌の言葉が聖書の啓示に対応する私たちの信仰告白になる、ということです。

教会史における音楽

 歌によって神を賛美する伝統は神の民の間から失われたことがありません。他方、それを音楽と広げますと、必ずしもそうではないようです。つまり、楽器を使用する音楽ということで言えば、初代教会では楽器の使用に否定的な時代があり、それはキリスト教会の歴史を一貫して今日まで続く一つの流れを作っています。この点についてはユダヤ教徒も同じです。音楽の発生は宗教にある、という研究もあるように、宗教と音楽は古くから密接な結びつきがあります。そこでキリスト教会の初期には音楽を通して異教的な影響を受けることが懸念されて、楽器の使用が遠ざけられたようです。「お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない」(5章23節)と『アモス書』には形骸化した礼拝についての批判がありますし、パウロもまたその教えを汲んで愛のないところで「騒がしいどら、やかましいシンバル」が礼拝に入り込まないように注意を促していますから(コリントの信徒への手紙一13章1節)、そうした御言葉が思い起こされてのことであったろうと思われます。

 後に西欧のキリスト教社会が成立してからは、音楽が学問の一つに数えられて、キリスト教会に確固とした地位を占めるようになります。中世にはオルガンが導入されるようになりますけれども、グレゴリオ聖歌に実を結ぶ音楽探求の試みは、もっぱら歌において、つまり人間の声と言葉による音楽の完成を目指していましたから、楽器はそれを邪魔するものとみなされる傾向にあったようです。

 宗教改革の時代に、改革者たちも音楽の問題に取り組みました。年長者のツヴィングリは自分で作曲する程の音楽通でしたが、自らの手でオルガンを破壊したとも言われます。ドイツの改革者であるルターは民謡などを取り入れて賛美歌の創作に力を注ぎ、教会音楽の大衆化を進めました。カルヴァンも音楽の賜物を大切にした人ですが、会衆の賛美として『ジュネーブ詩編歌』の作成に乗り出し、当時一流の音楽家たちに作曲を依頼して音楽的にも非常に優れた賛美歌集を世に送り出しました。やがて、オルガンの評価が高まって、「礼拝にふさわしい」楽器のあり方が、オルガンによって追求されていくことになり、礼拝と音楽の密接な関係はJ.S.バッハに極まります。けれども、その後の西欧音楽は教会とは別の宮廷や劇場へと発展の場を移してゆくわけです。

 「礼拝指針」では楽器の使用について第27条にこう記されています。「楽器は、礼拝にあずかる会衆の賛美の助けとなるので、歌と共に用いられる」。この書き方からすると、楽器の使用は主に賛美歌の伴奏のため、と読まれますが、楽器を用いた演奏そのものが賛美の一様式として用いられる可能性もあるはずです。私たちの礼拝でも、前奏や後奏、またしばらく間を取るための間奏がオルガンでなされていますが、それらの意味を考えてみることは大切です。

 もう一つ、第25条に「礼拝全体の調和」ということが書かれていますが、何か含みがあるようでスッキリしませんが、旧い礼拝指針を見ると、第12条に「歌の選択」とありまして、「説教の精神と一致しなければならない」とあります。この方が幾分わかりやすいかとも思います。「説教の精神」とは、おそらく、説教の内容に即した賛美歌が適切に選ばれるように、ということなのでしょう。それを踏まえて「礼拝全体の調和」と言うのでしょうが、ここには賛美歌は説教の添え物ではなく、それ自体が礼拝の重要な要素であることがあえて表明されているものと思われます。そうしますと、どのような賛美歌が式順のどの場所で歌われるのかをよく考えて、礼拝式の全体を設計しなければならない、ということになります。単純に現代的な音楽はうるさいから調和を乱す、ということではないわけです。

賛美と祈り

 そこで、賛美歌の問題ですが、まず、礼拝の要素としての賛美と祈りのことに触れておきます。言葉通りに捉えますと、「賛美」は神の御業をたたえて、その恵みに感謝を表すことです。「祈り」は祈願ですね。今ある私たちの困窮を訴えて、神の助けを願うことです。けれども、言葉の形式でこれを捉えますと、賛美と祈りには本来区別がありません。その良い例は『詩編』ですけれども、『詩編』は元来楽器の伴奏が伴って歌われたものだと言われます。けれども、その内容は実に様々です。賛美はその一つのジャンルでして、他にも嘆願の祈りや罪の告白、知恵や教えなどが散りばめられています。150の詩編全体が最終的に編集されたのも、個人が祈祷書として用いるためだとか、賛美歌集として礼拝で用いるためだとか、学者の間でも見解の相違があります。言葉の形式でいいますと賛美は歌であり、祈りは唱えるものだと一般的には受け止められていると思いますが、賛美と祈りは本来内容の違いです。そこで、歌うか唱えるかということの間に区別はありません。賛美を歌っても唱えてもよいわけですし、祈りを歌っても唱えても構わないわけです。例えば、『ジュネーブ詩編歌』を開いていただければ、そこに「主の祈り」や「使徒信条」があるのに気がつかれると思います。そうした祈りや信仰告白を教会は節をつけて歌ってきた伝統もあります。

 旧い礼拝指針ではこの辺りがまだ曖昧で「賛美」と「賛美歌」を同一視している向きがあります。そこで新しい礼拝指針では、「詩編歌と賛美歌は、会衆の祈りであり賛美である」と、その点を明確にしています。つまり、私たちが用いる賛美歌集は、歌うわけですけれども、歌によって祈ることもできるものである、ということです。

 そういう区別がつくとすると、私たちが礼拝式順にある祈祷と賛美については、その内容についてよく考えて配置することが大切だということになります。祈る場面で歌ってもいいわけです。罪を告白する場面で詩編を歌ってもいいわけです。礼拝全体の流れを決めていくところで、どこで歌い、どこで唱和するかを決めればよい、ということです。

賛美歌集の選択

 今述べたことは通常、牧師が週報を作成する段階で賛美歌を選ぶところで一部やっていることですけれども、今お話ししたところで、私たちは礼拝の中で好き勝手に歌っているわけではないことはお分かりいただけたのではないかと思います。また、今後、礼拝の式順を見直す時に、私たちがどのように祈りをささげ、どこで賛美をささげるか、と考えて、ふさわしい賛美歌を選べば良いのだと思います。

 そこで、私たちは賛美歌集を通常用います。これは公的礼拝用だと思っておられる方が多いかもしれませんが、実はそうではなくて、公的礼拝にも用いられるのですけれども、個人でも礼拝に用いたり、また自由な交わりの中で用いたりできるように配慮されてできたものです。そうして五百曲以上も集められた歌集がこれですので、これ全部を礼拝で歌うつもりはそもそも意図されていません。私たちが今用いているのは1954年に改訂がなされた日本基督教団の賛美歌委員会が発行した『賛美歌』です。これが作られた背景については初めの序文をお読みいただければよいと思いますが、これの作成とその後の『賛美歌21』の編集にも携わった元神戸栄光教会の牧師でした北村宗次先生によりますと、実際に礼拝で用いるのは100番ぐらいまでだということです。500番台などは19世紀のアメリカの流行歌ですから、「礼拝全体に調和しない」というのでしょう。私はよく選んでますけれども。そういうことは、実は私たちは知らなかったわけではないのでして、私どもの改革派教会では1961年の第16回大会で「推奨賛美歌」の一覧を、賛美歌検討委員会を通じて発表したことがありました。数からしますとおよそ半分くらい、284曲が選ばれています。けれども、それがあまり顧みられないで今日に至っているのが現状です。つまり、礼拝にふさわしい賛美歌を求める真剣な取り組みがないまま、自由な好みで歌って来ているわけです。全く取り組みがなかったのではなくて、『ジュネーブ詩編歌』ができたわけですから、これはそれとして尋常ではない努力が捧げられてきたのですが、教派全体として見ればそれほど普及してはいませんので、やはり動きは鈍いと言わねばなりません。「礼拝指針」にもありますように、「詩編歌と賛美歌」の二本立てで礼拝における賛美・祈りを充実させようということですので、『ジュネーブ詩編歌』は賛美歌集に取って代わるものではありません。私たちの教会のように、これはこれとして用いられればよいわけです。

 54年版の『讃美歌』は今でも広く用いられています。これを発行している日本基督教団の讃美歌委員会では、世代交代を果たした折に新しい『讃美歌21』を出しました。これも大変な労作ですけれども、やはりそれほど普及せずに今日に至っています。旧版の『讃美歌』はそれでお役御免になって廃刊になる予定でしたが、結局それができないで今でも書店で購入することができます。この旧版が用いられている理由の一つは、もとよりこれがエキュメニカルなものだからです。戦前の旧日本基督教会は長老派・改革派の伝統を受け継いだプロテスタント主流派の教会でしたが、教派嫌いの日本的な体質もあって、エキュメニカルな『讃美歌』の誕生を歓迎したのだそうです。それで、これが広く使われるようになって、先ほど触れましたように歌の言葉は保守的ですから、歌い馴染んだ讃美歌集を今も会衆が手放したがらないわけで、主流派教会では賛美歌への取り組みという点では古い体質がここかしこで残っままになっています。

 私たちが現在用いている『讃美歌』の問題点を挙げてみますと、第一に、私たちの公的礼拝に使える歌が案外少ないことです。気にしないで使っていますけれども、本当のところ選曲には苦労します。共同体の、民が一致して神に向かうという賛美歌が少ないですね。歌詞にはすぐれて文学的なものがありますけれども、よく格調が高いと言われる通りです。しかし、個人的・内面的なものが多すぎて、告白的なものが足りません。これは『讃美歌21』の改善点でもありまして、賛美歌の分類をしている見出しからも伺えます。私の経験からしますと、『21』の方が選曲はしやすいように思います。

 それから、旧版の第二の問題点は、言葉の難しさです。そこが格調の高さだと思っている方が多いのではないかと思いますが、では、歌詞の意味を本当に理解しているのかを確かめてみますと、やはりそうではないようです。「礼拝指針」は旧版も新版も歌詞を理解することの重要さを訴えています。言葉が分からないで賛美も祈りもありません。でも、音楽がつきますとその高揚感で賛美している気分になってしまう。気分で自己満足してしまうわけです。それは、神にとどくささげものではないのだと思いますが、いかがでしょうか。幼い子どもや知的障害をもった方も礼拝には集います。たとえ言葉を理解しなくてもそうした方々を主イエスは招いてくださるお方です。契約の恵みというのは、神の自由な選びに基づいていますから、そうすることができるわけです。けれども、礼拝に集う私たちにはそれぞれのタラントに従った奉仕が求められます。「言葉を理解する」ことは識字率の高い日本では一般的な能力ですから、本来なら誰もが理解して歌い、祈ることができるはずです。昔はラテン語でしか礼拝をささげることができなかったカトリック教会でも、今は会衆が理解できるように母国語で礼拝するようになっています。

 『讃美歌』の中に難しい言葉は随所に見つかると思います。私は子どもの頃からこれを歌っていて「主のみいつ」をずっと三位一体のことだと思っていました。「みいつ」とは天皇の威光のことですね。その時代を背負った言葉であるわけです。他にも例えば、クリスマスに歌う「もろびとこぞりて」があります。その2番に「悪魔のひとやを打ち砕きて」という一節があります。「ひとや」を漢字で書ける人がどれくらいあるでしょうか。これはある本の指摘ですけれども、「一夜」とか「一矢」だと大抵は思っている。けれども、「獄」という字です。ワープロで打ってみればちゃんと出てきます。そんなことはまったく気にしないで歌って満足している人のなんと多いことか。チコちゃんに怒られてしまいますね。昔こういう話をしていたときに、若い人たちでもいずれ分かるようになる、と仰った教会員の方がありました。確かに、そういう人もいるだろうとは思いますが、死ぬまで「みいつ」は三位一体のままかもわかりません。この辺りのことを、30年ほど前に改革派の讃美歌検討委員会が教派内の全国の中高生に向けてアンケートを取ったことがあります。それでわかったことは、高校生などはまず理解していません。ですから、私たちは歌詞の面でも54年版の『讃美歌』を今に至るまで使いこなしていないわけです。こうしたところも『讃美歌21』では意識されて改善が試みられています。ただ、慣れ親しんだ歌詞が変更されるのは確かに違和感が強く残って、詩というものは分かりやすければ良いというものではないのも確かです。そうしたアンケートの結果を見て、その後の大会委員会の方針は高校生にも分かるような歌詞で賛美歌集を用意する、ということになりました。その頃はまだ、自分たちの手で新しい賛美歌集を作るのだという気運がまだありました。

 それと『21』では、先に例を挙げた「みいつ」のような戦時中に天皇にささげられた用語は取り去られています。もう現役を引退されています石丸新先生が『賛美歌にあった君が代』という題の本を書いて、どんな言葉が私たちの『讃美歌』に含まれているかを具体的に挙げて解説してくれています。「言葉狩りだ」という人もありますから、賛否は別れるところです。

 三番目の問題点は、やはり歌詞の問題ですが、信仰告白との関連です。よく考えてみれば当たり前のことのはずですが、讃美歌では論じられないのが不思議です。賛美は神賛美であると同時に、信仰告白であり、宣教の内容です。聖書の中でも異なる信仰で神に賛美をささげるのは異教徒のはずです。ですから、私たちも、自分の信仰告白に即した言葉でなければ、賛美をささげることはできないはずです。榊原康夫先生の言葉によれば、「嘘の讃美歌」になる。そういう嘘の賛美歌に慣れてしまうと、礼拝が嘘になる。信仰が嘘になる。そういうところで霊的に養われることが無いばかりか、形ばかりの礼拝の姿勢が身につくようになるわけです。

 エキュメニズムを福音宣教の実際的働きにおける協力、そして、教派を超えた兄弟姉妹の交わり、神学的な相互研鑽、などの面に捉えるならば、それは積極的に進めるべきことと私は考えますが、こと信仰告白についてはエキュメニカルにはいかないわけです。そこに私たちの信仰そのものがあるわけですし、信仰告白は私たちの信じる聖書の啓示に基づいているわけです。ですから、神が教会に信ぜよと命じていることに反して、人におもねって異なる教説を述べることはできないはずです。私たちの信仰告白とは、教会憲法によりますと、ウェストミンスター信条に代表される改革派諸信条に表された信仰告白です。ですから、それらの信条に準拠した歌詞でないと、礼拝にふさわしく用いられないのは当然のことだと誰にも分かるはずです。旧版の『讃美歌』は、旧日本基督教会の伝統を担って来られた先生方によって作られましたから、エキュメニカルなものとはいえ、長老派・改革派の信仰を色濃く反映していると思います。けれども、そうではないものもたくさん含まれているのですから、現時点ではそれを注意して私たちの側で選り分けなければならないことになります。賛美歌集は一世代かけて一つのものに習熟していく、というのは北米キリスト改革派教会(以下、CRC)の賛美歌学者であるエミリー・ブリンク先生が言われたことです。そうであれば、その信仰に及ぼす影響も多大なものがあるはずです。私たちが自分たちの願う賛美歌集を持てないのは、残念ながらそれを作る力がないからです。それを試みようと言う意欲ある先生方があったわけですが、教会の理解を十分に得ることができなかったことも残念です。

 ですから、私たちは用いている賛美歌集については、無教派主義に立っていると言えます。これは『讃美歌21』でも同じです。『21』は礼拝用に様々な工夫が凝らされていますが、エキュメニズムはさらに進んで世界各国の賛美歌を寄せ集めて共有しようとしています。一般的に言って讃美歌の歌詞は神学論文ではありませんから、聖書の言葉を拠りながら公同信条のような大きな枠組みの中で、言葉を紡ぐことは可能かもしれません。そうすれば、教派を超えて、世界中の兄弟姉妹と、一つの賛美歌を異なる言語で歌うビジョンも開かれます。信仰の継承を考えるとそればかりで済ますわけには行きませんが、公同教会の一致を目指す点からいえば、エキュメニカルな賛美歌を生み出す努力も必要だと思います。すでに世界の諸教会で共有されている歌もあると思います。かつてベツレヘムの生誕教会で行われたクリスマスのミサに参加した時、真夜中の12時丁度に始まると同時に歌われた讃美歌は、ゴスペル・ソングとして有名な「神の国と神の義を」のメロディに「ハレルヤ」の言葉を当てはめたものでした。通常のミサがどうかは分かりませんが、カトリック教会でも賛美歌におけるエキュメニズムには積極的に取り組んでいるようです。

 自前のものがない現状では、あるものをお借りして、それを工夫して用いる他はありません。私たちが公的礼拝に用いることのできる賛美歌集としては54年版の『讃美歌』と新版の『讃美歌21』の二つより他はないと思います。福音派の諸教会で用いられている『聖歌』および『新聖歌』は大衆的で馴染みやすいかも知れませんが、私たちとはおそらく礼拝観が違いますからやはり公的礼拝には用いづらいと思います。では、二つの内どちらを選ぶかとなれば、私個人としては『讃美歌21』を推します。ただ、大会でも神学校でもそういう選択をしていませんから、急ぐ必要もないかも知れません。

 旧版の『讃美歌』に合わせて『讃美歌第二編』を用いる教会もあります。レパートリーが広がりますから、それで礼拝賛美に少し余裕ができるかも知れません。私たちが聖餐式で用いている「こころを高くあげよ」は『21』からの選曲ですが、もとより『第二編』の1番で知られて歌われてきた讃美歌です。

讃美歌の用い方

 ここで実践的なことをもう少し加えたいと思います。賛美歌集の選択については今お話しした通りですが、私たちが歌うことは何も公的礼拝の場だけではないわけです。「礼拝指針」でも私的な礼拝が奨励されていますし、家庭集会でも青年たちの集まりでも、超教派的な集いでも賛美歌は歌います。その場で賛美歌集を使い分ければよいのだと思います。私は青年時代にゴスペル音楽に触れました。きっかけはもう天にめされました古川第一郎先生が青年会の中におられて、若者向けの伝道集会を企画して、当時明治学院大学の学生たちによるグループを連れてきてくれました。それ以来、山内修一さんの伝記映画を見たり、『友よ歌おう』を青年会で歌ったりして育ちました。大学生の頃は、友人に連れられて超教派的な集会によく顔を出したり、クリスチャンのミユージシャンと知り合いになったりもしました。青年会時代には改革派教会の仲間達とJ.C.コーナストーンのコンサートを企画したりもして、教師たちからは「恥ずかしいから止めてくれ」など言われたこともありました。今思えば確かに恥ずかしいところもあるのですが、大衆向けのゴスペル・ソングにはそれなりの効用があるようにも思います。それらの歌から理知的に学ぶところはあまりなかったかも知れませんが、その当時の素直な感情を歌で言い表すことの気持ち良さを味わいました。信仰には知性ばかりではなく涙を流したり声をあげて喜んだりする情操面も大切だと思います。

 信仰は魂の問題ですから、命の問題ですから、心と体の全体がキリストに結びついて神のものとなることのはずです。その情操面への働きかけについては、私たちはやはり弱いのではないかと感じています。公的な礼拝は生ける言葉が臨在する場ですから、言葉を理解して内に止めるための、ある集中が必要です。聖餐式が顕著に表すように、罪の悔い改めを本気で表すための備えが心と体に求められます。礼拝の厳粛さや品性というものは、その信仰からくるものであって、集う教会員が属する社会層が要求するようなものではないはずです。

 私たちの公的礼拝に求められる霊性はそのようなものですから、大衆受けを第一に考えて賛美歌や楽器を選ぶことはありません。楽器にオルガンを選ぶのもその理由です。ですが、場を変えれば、私たちは様々な賛美歌に触れることができます。私が今とても気に入っているのは、テゼ共同体が発表している賛美歌です。CDを人にあげてしまったので、お聞かせできないのが残念ですが、伝統的であり尚且つ斬新な礼拝賛美のあり方だと思います。音楽的には評価はゼロだと仰った音楽家もありますが、アカデミックではないのは確かです。しかし、世界中から若者が集ってそこで歌うことを楽しみにしているのには信仰的な理由があると思います。私の意見では、公的な礼拝はそれとして保ちながら、青年たちは自分たちの集まりで自由に賛美歌を選べばよいと思います。大会や神学校はもっと詩編歌を歌うべきです。

 以上、お話ししたことから、今日では一冊の賛美歌集にこだわって、それに習熟する、ということでは、私たちの必要は満たされないという結論になります。改革派教会が独自の賛美歌集をもつまでに至るのには、まだまだ十年単位の時間がかかると思います。そこで実際問題として私たちが取り組むことのできる最良の対処の仕方は、私たちが自分で独自の賛美歌集を持つことです。もちろん、オリジナルの歌を作ることではなくて、歌える賛美歌を私たちが選んで礼拝用のファイルを作ればいいだろうと思います。

楽器の選択

 オルガンの使用については、ですから合理的と言いますか、聖書からの直接の指示はありませんから、絶対的な理由があるわけではありません。『ウェストミンスター信仰告白』の詞で言えば、「キリスト教的な分別から」そう判断するだけです。西欧にはオルガンの音によって培われた礼拝の伝統と霊性があります。私たちは信条と一緒にそうした礼拝からも豊かな養いを受けることができると思います。ピアノやギター、バンドで礼拝全体の調和を作り上げることが無理だとは言いません。CRCが毎年1月に行っている礼拝シンポジウムは、その伝統と現代性をいかにマッチさせるかの試みとして評価に値します。どんな楽器を用いるにせよ、その演奏の仕方次第だとは思いますが、オルガンが生み出す音の空間にまさる楽器は、人間の声を置いて他にないと思います。

 一つの問題は、オルガニストをいかに確保するかです。礼拝における賛美歌についての意識がなかなか高まらないようでは、オルガニストを育てる教会の務めも十分に果たすこともできません。多くの人はピアノを習うのだから、礼拝もピアノでいいではないかと言われることもあります。それなら、楽器はなんでもよいということですね。私たちの教会にはオルガニストがいますから恵まれています。けれども、それは当たり前ではなくて、いない教会もたくさんあります。ヒム・プレイヤーという機械がありますが、便利といえば便利ですが、とても歌いづらいしろものです。機械は心で賛美していませんから、オルガニストとは全く違います。オルガニストは演奏しながら会衆と心を一つにして賛美をささげています。

 オルガニストがいない場合、私はアカペラで十分だと思います。そこで無理に楽器を使おうとしますと、かえって会衆賛美を阻害します。楽器の演奏でも歌でも、礼拝で奉仕するとなると、「礼拝指針」にもありますように、それなりに確かな技術が必要です。もしも、歌でリードする人もいない、ということになれば、いよいよヒム・プレーヤーの登場になるかと思います。

 教会の音楽にそれほど力を注いではいられないのが日本宣教の実情なのかもしれません。そこであまりに高度な音楽を要求することは、経済的な面からしても、かえって伝道の妨げになる可能性がないとも言えません。神は貧しい献げものも、それが真心からのものであれば喜んでくださるはずです。ですから、身の丈に応じた音楽のささげものから始めればよいのだと思います。しかし、十分に成長して、よりよきものを御前にささげることができるようになったならば、それまでの貧しさに甘んじていないで、よりよい礼拝賛美をささげるように努力するべきでしょう。

会衆賛美の実際

 オルガンのことに触れましたので、奏楽の役割についても一言触れておきます。「礼拝指針」では第27条に、会衆賛美の助けとして楽器が容認されていることが記してあります。音楽にはそれ自体に言葉としての性質があり、会衆の歌の添え物ではない、ということもその通りだと思いますが、会衆賛美を導き支えるという役割は奏楽の基本です。中世ではオルガンの演奏が止むと会衆の声がようやく聞こえるようになる、という話もあって、そういう喧しさが嫌われてオルガン排斥にもつながったと思われます。しかし、賛美は民の一致を表すもので、そもそも歌が必要とされるのは、教会が一つの民であることを表すためだと言われます。そのことは第二バチカン公会議以降、会衆賛美の開拓に力を入れ始めたカトリック教会でも意識されています。オルガンが、あるいはオルガニストがいかに会衆を導くかということは、オルガニストがいつも心に止めておく事柄です。私は演奏できませんが、よいオルガニストは引っ張らないように思います。遅いぞ、テンポを守れ、とぐいぐい引っ張るような演奏の仕方は、はたから見れば会衆賛美を壊しています。よい演奏は会衆の賛美を後押しします。これはおそらくアンサンブルを経験するとよいのかも知れません。「伴奏」というのは歴とした演奏の技術です。

 それと音量ですけれども、これはオルガニストに限らず、会堂の設計や管理の仕方とも関わりますから、音響効果をよく把握しておくことが大切です。会衆賛美ではともに声を聞き合うことが大切だと思います。会衆の声が聞き分けられないほどオルガンをガンガン鳴らしては、これも会衆賛美の助けになりません。パイプ・オルガンなどはこの点が難しいと思います。

 ともに声を聞き合うこと、と言いましたが、これは会衆の賛美の仕方にも関わります。一人で歌って気持ちよくなりたいなら、カラオケが一番いいと思います。好きな歌も選べます。韓国のノレバンにはちゃんと賛美歌も用意されていて、牧師もよく練習に行くのだそうです。声の一致が大切なのですから、自分一人の声しか聞こえなくなってしまってはそれが果たされません。喜びを表現するのはそれでその通りなのですけれども、いつでもどこでも声を張り上げる必要はありません。音程がしっかりしていて賛美歌が歌える人は、むしろ、よく会衆の声に耳を傾けて、奏楽者と同じように会衆の賛美を支えるようにしたらよろしいでしょう。

 それと合わせて考えたいのは、パートをとるかどうかです。カルヴァンは今あげた理由から、つまり会衆の声を一つにする必要から、賛美歌は斉唱するものと決めていたようです。私たちが手にしている『ジュネーブ詩編歌』を見れば一つの旋律しかそこには記載されていません。ですから、若い教会であれば会衆賛美の始まりも斉唱から始めたら良いと思います。今日の若者中心のコンテンポラリーな礼拝でも、ワーシップ・リーダーたちを除けば、会衆の賛美は単旋律です。だから誰でも歌えるわけです。

 他方、『讃美歌』を見ますと、通常は4声に分かれています。それで、どこの教会でも自由にパートをとって歌うことができます。私の場合は、父がいつも傍でベースを歌っていましたから、それを子どもの頃から真似して覚えました。カルヴァンの手による『ジュネーブ詩編歌』がテオドール・ベザの手によって完成されて間も無く、クロード・グーディメルの手によって4声部のスコアに変わります。『ジュネーブ詩編歌』は公的礼拝で用いられたばかりではなく、巷でも歌われてその音楽性が豊かな発展をして行きました。それに伴って、単旋律で歌うというカルヴァンの方針も、必ずしも堅持されたわけではなかったようです。現在のフランス改革派教会による『ジュネーブ詩編歌』には4声部のスコアが記載されています。

 ですから、斉唱がいいか、合唱がいいかは一口には言えません。ただ、賛美において民の一致を表すという心構えは大切にしたいところです。それで、現実的な面から言うと、あまりパートを取ろうとしない方がよろしいかと思います。合唱は音取りがきちんと取れてこそキレイに鳴り響きます。改革長老教会のある教会では、教派の方針から楽器を用いません。ですから、アカペラになるわけですが、イングランド・スコットランドの伝統では旋律を美しく歌うことが発展しましたから、その霊性を受け継ぐためかとても美しいハーモニーで皆さん歌われます。奏楽がありませんから尚更きれいに聞こえます。よく訓練されているのかもしれません。けれども、音取りが苦手な人が礼拝賛美の最中にパート練習をし始めますと、本人は懸命かもしれませんが、周りの人が歌いづらくて仕方ありませんし、残念ながらハーモニーは生まれません。それに恐らく、楽譜に目がいってしまって歌詞には集中できないだろうと思います。先に賛美と祈りは一つだと言いました。心あらずで祈りは成り立たないのと同じで、賛美もまた言葉のささげものです。声は小さくてもいいのですけれども、言葉をしっかりと歌うことを心がけたいところです。パートをとるのであれば正確に歌える自信をもって、そのためには事前に練習して、さらに賛美の現場でそれが全体に調和するかどうかを確認して-声楽家が一人でデスカントを歌い始めても困りますから-、それで歌うことでよろしいのではないかと思います。

 ですから、これも場の問題になると思います。合唱をしたいのであれば、それができる自由な場を設けることができます。西部中会では今のところ合同クリスマスの聖歌隊しかありませんが、例えば板宿教会のように賛美歌を歌う会を模様してもよいかと思います。いずれにしても賛美歌練習は会衆賛美の向上のために必要だと思うのですが、今のところどうしたらいいか考えあぐねています。

 歌が苦手だ、という方も御ありかと思います。祈りと同じように、声を出して唱えればよいわけですから、恥ずかしがる必要もありません。皆が声を出していますので、自分だけ目立つということもありません。声のでない方があれば、耳で聞いて心を合わせることでも賛美はなりたちます。

その他の課題

 今日触れなかった問題としてあと残っているのは、賛美歌と伝道の関係です。礼拝との関係で考えると、礼拝の中での音楽は歌も含めて、第一に神に向かうものであって、人間に差し向けられたものではありません。しかし、歌う主体である私たちは、その存在が神の民として証を保ちますから、歌う言葉が周囲の人々に神の栄光を語るために用いられます。これは聖書から直接学ぶことができる賛美のビジョンです。ですから、時代に受け入れられやすいように、流行歌のメロディーを用い、歌詞を配慮する、という風にはならないと思います。そういう配慮で歌を用いるならば、やはり公的礼拝とは別の場所で行うのがよろしいでしょう。しかし、本気で音楽によって伝道をするのならば、音楽そのものによって神の真実を伝えるべきです。人寄せのために音楽を利用するような類の音楽伝道は、ある時期ブームを作り出すことに成功はしても、神をも人をも真理に導くことにはならないと思います。バッハはその音楽の高さで神の栄光を表し、世界中の人々にキリストの救いを語る言葉を神にささげています。私の好きなロックバンドに英国のU2というグループがあります。メンバーの一人が麻薬で捕まってしまいましたけれども、他の3人は長老派教会の会員です。そんなことは知らなくても、U2といえば世界中のファンが彼らの歌に共鳴します。これらの音楽家たちは、音楽という固有の領域でいかにしてキリスト者が神の栄光を表し、救いの証を地上に打ち立てるかということのよい事例です。私たちの歌う賛美歌も音楽もそれ自体の素晴らしさが世の中に証されれば、歌や音楽自体が神の栄光を世に伝えます。そうした務めを果たす力がキリスト教会全体の中にないわけではないと思います。

 また、それは世代の継承、信仰の継承にも関わります。CRCの報告では、米国で起こった「礼拝戦争」と言われる事態が、特に賛美歌の好みについて世代間で深刻になり、教会が分裂するようなことも起こったと言います。年輩の会員は若者たちの新しい賛美歌を喧しいといって馬鹿にし、若者たちはお祖父さん・お祖母さんの歌う賛美歌を堅苦しいといって毛嫌いします。そこには簡単には歩み寄れない時代の違い、感性の違いがあるわけですが、その間にあって悩み抜いた教会は、お互いにお互いを受け入れるための努力を礼拝にあらわすように心がけたと言います。そこで生まれた方式が「ブレンド方式」と呼ばれる方法で、奏楽にはオルガンもバンドも両方用いて、歌う賛美歌も伝統的なものから新しいヒットソングもあるという具合です。それを私たちが真似することができるかどうかはともかく、世代を受け継ぐために礼拝賛美の仕方を常に考え続け、新しいものも生み出し続ける努力がなければ、世代は断絶します。神学は常に普遍的であることを求めますから、その真理性が明らかになれば時代を超えて受け継がれます。しかし、礼拝の形式には「真理」はありません。礼拝に真理が現れるために、それは常に時代に応じて変化します。私たちはそこに働く霊に仕えるために、古いものを受け継ぎながらそれを新たに開花させていく努力を怠らないでいることしか、教会を真に担っていくことはできないのだと思います。今置かれている現状をよく考えて、できることを感謝して実行しながら、私たちの教会をきたるべき次の世代に受け渡すためにも、向上心は失わないでいたいと思います。

 

『日本語による150のジュネーブ詩編歌』出版の経緯

 さて、大会記録を調べてみますと、改革派教会においてカルヴァンによる『ジュネーブ詩編歌』を礼拝歌に用いようというような発想が創立の初めからあったわけではなかったようです。むしろ、改革派独自の讃美歌集を持ちたいという願いがあって、それに相応しい讃美歌をあちらこちらと物色していた時代がありました。「独自の讃美歌集が欲しい」という願いは、今日も継続しています。それは、私たち改革派・長老派の伝統に立つ、信仰告白に即した讃美歌を歌いたい、という願いです。大会の憲法委員会第三分科会によって発行された『日本語による150のジュネーヴ詩編歌』は、初めて私たちが自前で準備した讃美歌集となりますが、これを除けば私たちが大会的に用いているものは、日本基督教団から出されました『讃美歌』でして、その内から280曲余りが推奨讃美歌に指定されています。今日でもその線は変らず、それに加えて『讃美歌第二編』や『讃美歌21』が教会毎の判断で用いられているのが現状です。

 しかし、「詩編を歌う」ことについては、「ウェストミンスター信仰告白」の第21章に、礼拝に関する項目として「詩編を歌う」ことが盛り込まれていることもありまして、早い時期からの関心がありました。日本キリスト改革派教会が、真剣にカルヴァンの『ジュネーブ詩編歌』に取り組み始めたのは80年代に至ってからです。その頃、ようやく音楽的な賜物が与えられた専門家と、詩編歌の作成に情熱を燃やすことの出来る教師が、改革派教会内に現れました。音楽家の鈴木雅明氏と、西部中会神港教会の牧師でありました安田吉三郎教師(現引退教師)です。

 尤も、このお二人が詩編歌翻訳の活動を始められる前後に、プロテスタント諸教会の動きと連動しての新しい教派的な動きがありました。1981年に開かれました大会の開会礼拝で、議長を務めておられた榊原康夫教師が『コリントの信徒への手紙一』14章を取り上げて、「知性で歌う」という説教を行いました。そのところで、パウロが「霊で賛美し、理性で賛美しましょう」と勧めをしていることから、礼拝賛美における理性の役割が強調されました。それが、改革派教会が新しい賛美歌編纂に向けて20年の空白を破って再出発する契機となり、その年に第2次賛美歌検討委員会が大会に設置され、この委員会を通して改革派教会の礼拝賛美に相応しい賛美歌が模索されることとなりました。

委員会は直ちに幾つかの具体的な作業を始めたのですが、その中に内外の改革派教会の賛美歌を収集する作業があって、特に各教派で用いられている詩編歌に関心が寄せられました。同時に新作の賛美歌の公募も行いましたが、こちらは結果として不作に終わり、委員会のその後の方針は詩編歌の編纂に大きく傾いていくことになります。1984年には木岡栄三郎氏の『カルヴァンの詩編歌』並びに改革長老教会の『詩編抄集』が大会で紹介され、「詩編を歌う」運動が委員会主導のもとで大会的に進められるようになりました。

 先程名前を挙げましたお二人の先生方の活動は、80年代後半に入って活発になります。賛美歌検討委員会のメンバーとなった鈴木雅明氏は、他の委員と共にカルヴァンの詩編歌を翻訳し始め、同時に委員会は「教会音楽講習会」を開いて詩編歌の啓蒙に努めました。この「講習会」は今日まで継続していまして、オルガニストの養成と教会音楽及び礼拝式についての研修の場として用いられています。詩編の翻訳には当初、賛美歌検討委員会のメンバー全員が携わっており、作業の終わったものから順次発表されて、それぞれ『15の詩編歌』『36のジュネーブ詩編歌』と小冊子として刊行され、教派の内外での試用に回されました。1996年には50の詩編歌がまとめられて『ジュネーブ詩編歌抄−日本語による』が出版され、同時にそれについての伴奏譜も出されています。

 翻訳作業については途中で大きな変更がありました。それは、それまで翻訳作業は委員会全体の作業でしたが、安田吉三郎教師がそれを一手に引き受けることとなったからです。かつて教会音楽講習会にカルヴァン研究家の渡辺信夫先生をお招きして講演をしていただいた際に、渡辺先生が個人で翻訳されたジュネーブ詩編歌があること、また、翻訳作業は個人で進めるに限る、というお話がありました。そのサジェスチョンがどういう風に作用したか私は知りませんが、丁度渡辺先生が仰った通りの方針で、安田先生による作業が進められて行きました。それは、旧約の専門家であり、教派の礼拝刷新にも力を尽くしておられた安田先生ならではの仕事でした。

 ここでご紹介しなければなりませんのは、鈴木委員、また、安田教師と共に、詩編歌の翻訳と啓蒙に力を尽くされた、他教派の方々です。『ジュネーブ詩編歌』を日本語に直して、それを日本の教会の財産とするという大きな目的は、実に一つの教派という枠を越えて、改革派教会の伝統を汲む賛美歌を求める同士たちの間で共有された、エキュメニカルな性格のものでした。それが私共の教派で十分に理解されなかったこともありまして、結果としては2冊の詩編歌が生まれてしまったのですけれども、本来は共同作業によって今日の『詩編歌』出版が目指されていました。協力されたのは、日本キリスト教会の菊池純子先生および出版社エルピスの方々です。1999年には、賛美歌検討委員会の安田委員長より、次のようなアピールが大会に訴えられています。「詩編歌とコラールを中心に編集すれば、日本における長老派改革派の教会で共同で使うことができる。そのための共同作業ができればよいと思う。公同礼拝での使用を優先することから、『賛美歌』という名称も『礼拝歌』という名称がふさわしい」。エルピス社では、詩編歌とコラール、そして礼拝式文を含む『礼拝教典』が上梓される予定であり、『改革教会と音楽』誌上に掲載された安田訳詩編歌もそこに含まれることになっていました。

 こうして、『ジュネーブ詩編歌』に取り憑かれた熱心な方々によって、今日の出版が可能になったわけです。最終的な完成は、賛美歌検討委員会から機構改革によって組織改編された憲法委員会第三分科会が責任を果たすことになりました。完成した『ジュネーブ詩編歌』は、私共が出版しました『日本語による150の詩編歌』と、エルピス社からだされました『みことばをうたう』の二つの形態になりますが、詩編歌そのものの内容は同一です。ただ、私共の方はジュネーブ詩編歌と幾つかのカンティクル-福音書に含まれる幾つかの歌―が含まれ、巻末にウェストミンスター信条への対照表がつけられていることで、教派向けとなっています。『みことばをうたう』の方は、先程もお話ししましたようにエキュメニカルな性質をもったもので、邦訳されたコラールが含まれているほか、アメリカ合衆国長老教会の共通礼拝書より採られた聖書日課が含まれています。この聖書日課は私共の本にはありません。伴奏譜については、インドネシアで編纂されたグーディメルのものを輸入して頒布しましたが、こちらは既に絶版となって、鈴木優人兄による伴奏譜が出される予定でしたが、なかなか新しいものが完成しないもようです。

『ジュネーブ詩編歌』成立の概略

 さて、ここで『ジュネーブ詩編歌』とはそもそも何かということを簡単にお話ししておきたいと思います。16世紀の宗教改革は教会の制度的な改革を伴う御言葉に基づいた霊的復興運動でしたが、礼拝の改革もまた改革者たちの課題となりました。カルヴァンはジュネーブの教会を指導する中で会衆に相応しい賛美歌を模索していましたが、ストラスブールの教会を訪問した際にそこでドイツ語で歌われる素晴らしい会衆賛美に出会って感化を受けまして、自分でもフランス語による賛美歌を用意することにしました。カルヴァンは詩編全体の注解をも試みて、そこで回心といえるほどの経験をしていましたから、今や教職の支配から離れて信仰的な自立をしようとしている会衆の霊性を育むには聖書の詩編が導き手として欠かせないと考えていました。そこで教会の賛美には詩編を歌うのが最も相応しいとして、詩編を原文から韻律化しながら翻訳し、旋律は当時一流の音楽家たちに造ってもらうという方法を取りました。「韻律化」というのは、旋律に合わせて歌うことができるように、音節の数などを調整することを指します。そうして1539年、ストラスブールで最初に出版されたのが19の詩編による詩編歌集でした。最終的に150の詩編歌の訳を完成させたのはカルヴァンの後を継いだテオドール・ド・ベーズで、1562年に出版されています。純粋に会衆のための賛美歌集として創られたのは教会史上これが最初とのことで、カルヴァンはこれを斉唱するよう求めていましたが、作曲において詩編歌完成に責任を負ったクロード・グーディメルは、その後まもなく4声部の編曲を行って1564年にこれを出版しました。私たちが日本語訳の底本にしているのは1562年までのものですが、ジュネーブ詩編歌はその後、ルネサンス音楽の遺産としてヨーロッパ各地で演奏され編曲されてヨーロッパ音楽史の中に長い生命を保っています。もともとカルヴァンは礼拝で用いられる音楽と、家庭などで楽しまれる音楽の間に区別を設けていましたが、神に捧げるための純粋さを追求した音楽が、やがて巷でも尊ばれるようになったことは教会の音楽と伝道との関係を考える上で参考になります。

 キリスト教会では後で紹介しますように、大陸の改革派教会の伝統を受け継ぐ土地で会衆賛美として『ジュネーブ詩編歌』が用いられ続けています。もちろん、礼拝で用いられる賛美歌は今日多様化していて、ジュネーブ詩編歌だけを排他的に採用している教会は見受けられませんが、カナダ改革派教会などはとりわけ詩編歌の復興に熱心で、教派の立派なHPに解説と英訳、音源が公開されています。インドネシア改革派教会もジュネーブ詩編歌を受け継ぐ教会で、大会委員会で配布した伴奏譜はインドネシアから取り寄せたものです。ジュネーブ詩編歌の幾つかは日本の賛美歌集の中で紹介されていて、『讃美歌』の頌栄539番などは最も良く知られた歌の一つです。そして今や、150の詩編歌全体が日本語で登場したということは、日本の教会史における快挙だと言えるでしょう。韓国の神学校でそのお話をしたところ、とてもうらやましいと言われました。

『ジュネーブ詩編歌』使用の問題と提案

 『ジュネーブ詩編歌』を用いることの問題は、現状として、改革派教会では未だに市民権を得ていないことにあります。先程も紹介しましたように、日本キリスト改革派教会では、長年、日本基督教団から出された『讃美歌』を用いて来ました。最近では、『讃美歌21』を用いる教会が散見されますが、未だにその点では非常に頑固で保守的です。後でご一緒に歌いたいと思っていますが、ジュネーブ詩編歌の教会旋法は今日の私たちの耳には馴染みがありませんし、また、奏楽の和声にも独特な響きがあります。暗い、歌いづらい、と様々な批判が大会委員会にも寄せられます。更に、奏楽者と讃美歌を指導する奉仕者の問題もあって、これまでの委員会の仕事には根強い反発も教会内に残っています。すなわち、都会の教会はパイプオルガンを導入して、専門のオルガニストを擁して、礼拝の質の向上などと言っているが、地方の、お年寄りの多い、会員も僅かな教会ではオルガンさえ持つことができず、もう何十年も僅かなレパートリーの讃美歌を歌っている。そこで、新しい『詩編歌』が一体何の意味があるのか。誰がその歌い方を指導してくれるのか。やっかみにも聞こえますけれども、これは日本という土壌に独特の宣教の問題ではないか、と委員会で話し合ったこともあります。おそらくこういう問題点は、私共の教派だけのことではないでしょうし、また、讃美歌に限らず、プロテスタント教会の礼拝刷新運動とも関係することではないかと思います。キリスト教会の知的・文化的豊饒が、経済的に優位にある一部の教会の関心で占められるのだとすれば、それは教会の礼拝が世俗文化もしくは享楽となってしまったことにならないかどうか。カルヴァンにとりましても、音楽の芸術性とその楽しみは霊的な祝福であって、決して否定的ではありませんでした。しかし、彼はそれを一部の知的な人々の優越感に供するようなことはなく、彼が韻律詩編歌をつくったのは会衆が歌うためでした。そして、彼の手によって会衆賛美の喜びを知ったヨーロッパの諸教会は、競ってこれを求めて、あらゆる場所で詩編歌を歌うようになったことは、また後程音源で確かめていただこうと思います。この『ジュネーブ詩編歌』が出版されたからといって、これが即、会衆の賛美となりうるかどうかはまだ確信がありません。私共の教派でもパイプ・オルガンの導入はあるブームを迎えていて、確かに、その音楽的な教育効果には意義を認めます。また、礼拝における音楽の重要性は十分に認識されていると思います。そして、この詩編歌は、そうした「意識の高い」教会では積極的に用いられているものの、多くの教会ではまだ正式な採用に踏み切れないでいます。

 もう一つ別な側面から問題を挙げますと、私たちの教派がこの詩編歌作成に携わったのは、それが「詩編をうたう」目的に適ったものと見なされたからです。つまり、そこには改革派・長老派教会の信仰の特質でもある聖書信仰が支えになっています。「詩編を歌う」ことは「御言葉を歌う」ことであって、聖書が教会に差し出すところの神の言葉を直接に歌えることに、私共は特別な喜びを感じます。それは、カルヴァンの意図とも共通するものです。しかし、『ジュネーブ詩編歌』は韻律詩編であって、厳密に言えば、聖書の言葉をそのまま歌うのとは異なります。韻律詩編はその音楽性を重視するために言葉を調整して、原文を短くしたり、文言を加えたりします。礼拝で行われる説教が正典の解釈でありパラフレーズであるのと同じように、詩編歌も詩編本文の解釈でありパラフレーズである、という理解の仕方で、それはやはり「御言葉を歌う」のに相違ない、という説明は可能です。しかし、だからといって、詩編歌を歌っているから、聖書に含まれた詩編は読まないで済むかというと、おそらくそうはならないのが私共の聖書信仰です。そこで、これは議論があることと思うのですが、詩編歌を歌うというのは、やはり讃美歌を歌うのと同じことになるわけで、他の様々な讃美歌を歌うのよりも聖書本文に近い、ということは相対的なことに過ぎなくなります。

 以上のような問題があって、この詩編歌が教会で十分歌われてその効果を発揮するに至るのは、まだまだこれからです。おそらく、世代を超えて歌い継がれるぐらいにならないとわからないでしょう。

 積極的な期待としては、これが礼拝のみならず、様々な場で用いられるようになることで、キリスト教会の生み出した音楽が、音楽そのものとして世に訴えるものとなることです。これは鈴木雅明先生が特に強調しておられたことで、教会音楽が教会内部の自己満足で留まっているのは間違いであって、神にささげる音楽は、音楽としても最上のものでなければならず、その評価は教会の外でも十分に受けることができる、というものです。確かに、礼拝のために作成されたバッハのカンタータは、彼の深い宗教性に貫かれていて教会で用いられたものでしょうが、今日それが聞かれるのは教会よりもコンサート・ホールやCDにおいてです。世界のあらゆる領域で神の栄光をたたえる、というのがカルヴィン主義の目標ですから、その意図に適って詩編歌が用いられるように、という期待もあります。

 もう一つの用い方は、家庭での礼拝や個人のデボーションにこれが用いられることです。「声に出して読む」ことが今日さかんに進められますが、詩編をただ朗読するよりも、一つ一つに独自の旋律に併せて歌うことの方が記憶されやすいのは確かでしょう。聖書日課が用いられて、その日の詩編が、この詩編歌集によって歌われるという習慣が身に付くならば、教会はさらに深く詩編そのものに親しむようになるのは確かです。これについては、先に述べたような問題があることは事実です。詩編歌と詩編は違う、という問題です。しかし、これは私が個人的に思うのですが、違うのであれば、両方用いればいいわけです。詩編歌を歌うことで、詩編への特別な愛着が与えられて、そこで改めて詩編を読み、その説教を聞くようになれれば、それでよいのではないでしょうか。それだけ、教会が詩編にこだわる価値は十分にあると思います。カルヴァンは、詩編は教会の霊性の源泉だ、というようなことを言っています。

 

 


 

≪各国のジュネーブ詩編歌―CDによる演奏目録≫

 

1.  詩編1編 いかに幸いな人(日本)

『いかに幸いな人-賛美歌21の歌詞によるジュネーヴ詩編歌 Geneva Psalm水野隆一関西学院聖歌隊』

*『賛美歌21』に含まれるジュネーブ詩編歌の聖歌隊による演奏。

 

2.  詩編24編 大地は主のもの(フランス)

『フランス詩編歌集/アンサンブル・グーディメル』Le Psautier Français */ Ensemble Claude Goudimel(Champeaux CSM 0010)

*フランス改革派音楽協会による『ジュネーブ詩編歌集』出版に伴うCD。24編は会衆賛美風。

 

3.  詩編47編 民よ手を打ちならせ(フランス)

*CD同上。4声のアンサンブル。

 

4.  詩編138編 心を尽くして(ハンガリー)

『ハンガリー宗教改革の聖歌―デブレチェン・カレッジ合唱隊』The Chants Of The Reformation In Hungary - The Debrecen College Cantus (Hungaroton HCD12665)

*ジュネーブ詩編歌は完成後まもなくハンガリー語に翻訳された。会衆賛美。

 

5.  詩編33編 主に従うものは(フランス/ハンガリー)

『コダーイ-ヤナーチェク:アンサンブル・ヴォーカル・エウテルペ– Ch.ゲッセニー指揮』Kodaly - Janacek - Ensemble Vocal 'Euterpe': Direction Ch. Gesseney (GalloB000004A2G)

*ハンガリーの作曲家コダーイによる編曲。歌詞はフランス語。2声の掛け合い。

 

6.  詩編150編 ハレルヤ、歌え(スペイン)

『42の賛美の詩編』42 salmos de alabanza

*オランダの改革派教会の協力によって作成されたスペイン語によるジュネーブ詩編歌。会衆賛美。斉唱。

 

7. 詩編100編 地はみな声あげ(米国)

『ジュネーブ詩編歌の音楽/カルヴィン大学』Music Of The Genevan Psalter - Calvin College.

*カルヴィン大学の学生たちによる合唱。会衆賛美。

8.  讃美歌6番 我ら主をたたえまし(曲:ジュネーブ詩編歌124編)

『クリスマスクワイヤー-松蔭女子学院大学聖歌隊』オルガン・指揮:鈴木雅明(ミクタムMCD-1007

55年版『讃美歌』に含まれるジュネーブ詩編歌の例。歌詞は別物。他には1,4,5,6,12,(70),226,(351),539

 

9.  詩編24編 大地は主のもの(フランス)

『アンサンブル・レ・ファナムルーズ/薔薇を花束にして~オスマン・トルコからフランスに伝えられた歌と詩編』Les Fin'Amoureuses / Marions Les Roses - Chansons & Psaumes, De La France À l'Empire Ottoman (Alpha-517).

*ジュネーブ詩編歌は17世紀にオスマン王朝の宮廷音楽家によってトルコ語に翻訳された。このグループは古楽器を用いて原語で歌い、地中海音楽の源流に遡る試みを行っている。ルネサンスの遺産として詩編歌を評価し、継承しようという若い音楽家たちによる演奏。

 

10.         詩編130編 深き淵より(オランダ)

『レ・ウィッチズ/スーザン・ファン・ゾルトの手稿』 Les Witches / Manuscrit Susanne van Soldt: Danses, chansons & psaumes des Flandres, 1599 (Alpha-526)

16世紀末のアムステルダムに暮らしていたファン・ゾルト家の娘が書き写した譜面の中に、当時の流行していた舞曲に混じってジュネーブ詩編歌の編曲が発見されている。その譜面は家庭で演奏を楽しむためのもので、フランスの古楽グループ「ウィッチズ」はそれを楽しく再現してみせる。

 

11.         シメオンの賛歌 去らせたまえ(日本)

『いかに幸いな人-賛美歌21の歌詞によるジュネーヴ詩編歌 Geneva Psalm水野隆一関西学院聖歌隊』

*『賛美歌21180番に収録。カルヴァンの礼拝式順では、最後の派遣にこの曲が用いられた。