エルサレムを目指して進まれるイエスの旅は、ガリラヤより北に位置するフィリポ・カイザリヤから出発しました。そこで、ペトロを代表とする弟子たちが、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」との信仰告白をしたことによって、イエスに従う弟子たちの信仰教育がこの旅の道中で始まっています。
主イエスはこの道が受難の道であることを弟子たちに予め明かされました。主イエスがメシア=キリストとしてエルサレムに入城されることは、イスラエルの真の王の帰還として讃えられるべき出来事になるはずですが、イエスがお告げになったのは、「ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する」ということでした。三日目の復活、こそがキリストのお受けになる栄光ですけれども、復活を理解するには復活した主イエスにお会いする必要がありましたから、それ以前の段階では、弟子たちは自分たちが想定していたことと正反対の事態におののきを隠せませんでした。
ここで出てくるガリラヤとカファルナウムはかつてのイエスと弟子たちの故郷であり、活動拠点でもありました。しかし、今はエルサレムに向かう通過点に過ぎません。ガリラヤに弟子たちが集結したとき、イエスは二度目の受難予告をします。文言は若干違っていますけれども内容は同じです。「人々の手に引き渡されようとしている」というここでの表現について言えば、これは旧約聖書の中でイスラエルを敵の手に引き渡すとか、敵をイスラエルの手に引き渡す、という表現と等しいものですから、裁きを行う神の裁定が意図されていると言うことが出来ます。しかし、そうした神の御旨や復活については弟子たちの理解を越えることなので、イエスが殺されるという断固とした見通しの前に弟子たちはただ悲しむ他はありません。
イエスが十字架に向かわれる途上で、弟子たちに対して行われる教育には二つの側面があります。一つはイエスの受難の意味を悟るということ。それは只の人の悲惨な死には終わらずに、神の御子が十字架の死による贖いを果たされて復活の栄光に至るということです。弟子たちはイエス・キリストに対する確かな信仰告白をして、山の上でイエスが光り輝くお姿に変わるのを目撃したはずですけれども、相変わらずイエスをこの世の人としてしか見ることができません。ですから、引き続きその信仰告白に基づく内実を深める必要があります。イエスは普通の人と同じように肉をまとった人間ですけれども、この世には属さない神の子キリストです。
もう一つの側面は、そのキリストに従う弟子として生きる信仰生活はどのようなものかという、後の教会に活かされる教訓です。その二つのことがここでも合わさって教えられています。カファルナウムで問答が交わされた時の当事者は、やはりペトロでした。
神殿税を集める者たちがペトロのところにやって来ました。「神殿税を集める者たち」とは「2ドラクマを徴収する者たち」というのが元の言葉です。これは前にも出て来たローマの徴税人たちとは違います。モーセの律法に基づいてエルサレム神殿に人頭税を納める係を任じられた町の役人たちです。この神殿税の根拠となる律法は、先に一緒に交読した出エジプト記30章11節以下の規定を含めた数カ所です。もう一度そこを確認しておきますと、「命の代償」と相応しい表題がつけられていますが、20歳以上の成人男子は銀半シェケルを主への奉納物として納めるように定められています。集められたお金は臨在の幕屋を維持する為に用いられる、とありますから、神殿のある時代にはこれが神殿税になります。
大事な点は、これが神殿維持という実際のための献金でありながら、その意味は命の贖いのためと言われていることです。人口調査をして登録するということは、大昔には数を数えることは不吉だとの民間信仰もあったようですが、時の政府がそれによって兵力を確保する目的がありましたから、イスラエルではそれが不信仰ともなりました。それで信仰の証として代償を支払うことによって、その不信仰の故にくだる罰としての災いから各自命を買い戻すことが求められました。その代金が半シェケル、イエスの当時でいえば2ドラクマです。
2ドラクマはローマの通貨では2デナリオンに相当します。1デナリオンが一日の日当にあたりますから、2ドラクマは二日分の日当です。エルサレム神殿はこれを毎年納めるように求めましたが、ユダヤ人たちの間では聖書の解釈が一致せず、必ずしも徹底してはいなかったようです。エッセネ派などは成人した時点で一度納めればそれでよいとしたために、その後の納税を拒否したといいます。
ペトロのもとを訪れた係の者たちは、そういう状況を知っていて「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と問うたのでしょう。必ずしもファリサイ派の人々のように敵対してそのように言ったのではないと思います。
しかし、ペトロは、ここは断固として「納める」と答えました。彼にとってイエスが神殿に対する義務を果たすのは当然と思われました。そこからペトロに対するイエスの教授が始まります。先に教師から問いかけるのは当時のラビたちの問答法と同じです。
シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。(25節)
普通、地上の王は自国の民衆や属国から税を取り立てますけれども、王子たちが王宮に税を納めることはありません。ペトロが答えた通り、税金を徴収するのは「他の人々から」です。するとイエスは「子どもたちは納めなくてよい」ことを確認します。「子どもたちは自由だ」というのが原文の表現です。税金から自由だ、ということですから、「納めなくてよい」と訳せます。
これでペトロが気づいたかどうかは分かりませんが、イエスが仰りたいことは、本来、神の子である者が、どうして神の宮に税金を納めなくてはならないのか、ということです。「地上の王」という言い方をしたのも、天上の王である神を暗示するためでしょう。ペトロは何の疑いもなくイエスは神殿税を納めるものと思っていたようですが、イエスが神の子であると心から信じるならば、当然そうするとはもはや言えません。イエスは神の子ですから、神殿の税金からは自由であるのが当然です。
ペトロが行った信仰告白は弟子の生活のあらゆるところで試されます。最大の試練はイエスが十字架におかかりになったときでしょう。イエスが人々の手に引き渡されて十字架にかけられて惨めな死に方を人前で晒す時、弟子たちはそれでも「あなたこそ生ける神の子メシアです」と告白できるのかどうか。私たちと変わらない人間となられて身近におられるだけに、そのお方を正しく見ることは信仰の課題となります。そこが曖昧であったからこそ、弟子たちはてんかんの息子を癒すことに失敗しました。
イエスを神の子メシアと信じるということは、イエス・キリストによる神の救いを信じることです。イエスが十字架におかかりになるのは、それによって罪からの贖いが果たされるためです。もはや、命の贖いを定められた税金によって自分で繰り返し果たす必要もなくなります。神が御子の犠牲を私たちの代償として受けてくださったので、それを信じる私たちの贖いは既に完全に果たされています。人の子として来られたイエスは、ご自分の死によって私たちの命を贖う神の御子です。
イエスはご自分が神殿税の義務からは自由であることをペトロに教えられました。そして、それはイエス御自身についてだけ言えることではなくて、イエス・キリストと結ばれて真の弟子となった子どもたち、ペトロを初めとするキリスト教会全体について言えることです。教会の時代になった時、いまだエルサレムに神殿が立っていた間は神殿への納税義務がユダヤ人たちに課せられました。今日のペトロとの問答によりますと、キリスト教へと改宗したユダヤ人たちはもはや神殿に対する納税義務からは自由になったことになります。教会では自発的なささげものが尊ばれます。教会で働く伝道者たちを経済的に支えることも、生活の困難に陥った地域の教会を互いに支えることも、集められた献金によって賄われます。けれども、それは飽くまでも喜んでささげる自発的なささげものによるものであって、命の贖いの為に課せられる義務ではありません。金銭によって命を救うのではなく、キリストに贖われて、ひたすら神の恵みによって人は命を救われます。
イエスも弟子たちも神殿税を納めるかどうかはもはや自由です。それがイエスがペトロに教えられた原則です。けれどもイエスは終わりにこう言われました。
しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。(27節)
結果から言えば、結局イエスはペトロに税金を納めなさいと命じます。その理由は「彼らをつまずかせないため」です。この「躓き」という言葉にはマタイ福音書でよく出会います。弟子たちの周辺で起こる信仰の躓きにはイエスは注意しておられました。この後、18章へ進みますと「小さな者たちへの配慮」が弟子たちに対する教育課題となります。
原則から言えば、イエスもペトロも神殿税を納める必要はありません。神の子イエスと共にいるがための自由を神から与えられています。ですが、だからといってその自由を掲げて、周囲への配慮をも顧みないで気ままに振る舞うようなことをイエスはしませんでした。神殿税を徴収に来た係の者たちがどういう立場のユダヤ人であったかは分かりませんが、彼らを初めとして神殿に税を納めて信仰を保っている同胞への配慮から、イエスは自由に神殿税を納めることに決めたのでした。
魚釣りの奇跡はペトロに対する小さな心遣いでしょう。釣った魚の口に銀貨が入っているとは、言った通りのことが本当になるイエスの力を表しますが、そこには神の力が働いていることの証拠があります。また、弟子たちの管理していた会計から二人の納税分を支出するのではなく、魚の口から見つかった銀貨を納めるというのですから、これは本来自分で納めるのとは意味が違います。受け取る側にしてみれば確かに納めてもらったのですが、納めた側からすれば納めていないも同然です。イエスとペトロは神殿税から自由だということです。
これはある面、信仰の妥協と見えるかも知れません。けれども、信仰の本質とは関わらない実践的なことで大切なのは、躓きを引き起こさないことです。このことの教会内での具体的な展開は、今まで午後の礼拝で学んで来た『コリントの信徒への手紙』の中で様々に論じられています。パウロは端的に愛が最も尊いと言います。コリント教会ではキリスト者の自由が叫ばれました。そこで、自分が何をしようともこの世のものは自分をもはや支配はしないのだから、偶像への供え物が供される宴会に出かけたり、礼拝の中で女性が被り物を脱ぎ捨てて髪を振り乱して祈ったりしても構わないとの自己主張が起こり始めました。偶像に備えられた肉を食べに出かければ、それに誘われた弱い仲間が、また元の異教的な習慣に帰って行ってしまって信仰を失ってしまうかもしれない。女性が被り物をしないで祈れば、キリスト教は女性の節度を失わせる非常識な集まりだとの反発を招きかねない。躓きとは信仰を失って罪を犯し神の裁きを身に招くことです。自分の信仰がまだ固まらないでいて不安定であることが人の躓きになるのではなくて、独りよがりな信仰で周囲に愛の配慮を欠く時に躓きが起こります。
パウロは次のように言います。
あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。 (8:9)
またこうも言っています。
わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(9:19-20)
イエスが教えられたのは、神にあって生きる人の本当の自由、つまり、神以外のものに何者にも隷属しない命の尊厳と、その自由な命を神にささげて救いを周囲に広げてゆく愛に基づく配慮の仕方です。パウロはそのイエスの教えに最も忠実であった弟子の一人となり、教会でそれを実践しました。時にパウロも主イエス御自身も福音に反する教えを高圧的に説く者に対しては激しく論争します。しかし、弱い立場の者を重んずる態度は信仰の妥協ではなくて福音に基づく愛の配慮です。キリスト者の自由は自分のために行使するのではなく、救われるべき他者のために用いるよう秩序づけることが求められます。
主イエス・キリストは弟子たちを伴って十字架への道を歩まれました。神の子でありながら自分を空しくして、この世の罪人たちの手に身を渡されました。それは、罪人である私たちの命を獲得するためでした。弟子たちがイエスの後に従って学ぶのは、神の子が歩んだ愛の道です。罪の赦しを与えられて自由に生きる者とされた私たちは、キリストに示された愛に基づいて、信仰生活を共に形作ってゆきたいと願います。
祈り
天の父なる御神、主イエス・キリストを真の救い主としてあがめる私たちが、信仰の故に御前に与えられている自由を正しく秩序づけて、隣人に対する愛を相応しく表すことができるように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
日本キリスト改革派長野まきば教会 牧師 牧野信成
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