日本キリスト改革派長野佐久伝道所 学習会2019623日/30

教会設立に備えて― 教会の職務(3)執事

 

はじめに

 これまで私たちは、教会の職制について、教師・長老と見てきましたので、今日は執事職について学びたいと思います。ここにおられる誰かが執事になるわけですし、また、誰かを選挙で選ぶのですから、皆でその職務についてよく理解しておくことが欠かせません。

執事について学ぶにも、幾つかのテキストが挙げられます。今、祈祷会で用いている『聖書の教会観』にもその項目がありました。祈祷会で学んだ方には、今日の学びは復習になるかと思います。他にも、長田秀夫先生が大会の執事活動委員会でご奉仕なさっていた時に発行された、「執事職について」のパンフレットがあります。これも周到に用意された内容なので、それを元にお話ししても良いのですが、今回は、私が独自に準備したところで、『教会規定』を見ながらお話しします。レジュメに関連事項を抜粋してありますので、それを見ながら聞いてください。

 

1.長老主義教会における執事職の働き

 これまで確認したところですが、地上の見える教会は三つの職務によってキリストの統治を受ける、とするのが、私たちが聖書から理解する教会のあり様です。その三つの職務とは、教師・長老・執事であって、それぞれに共通する務めもありますが、また固有の働きがあります。そこで「執事」とはどんな働きかと言いますと、「教師・長老」が教会会議を形成して、御言葉による統治を行うことを主とするのに対して、「執事」はキリストの愛の業を実行することが主な務めです。教会会計が一番重要で大変な働きの様に思われますけれども、それも、そもそもは愛の業に含まれていたものです。

 例えば、使徒言行録6章では、使徒たちとは別の奉仕者グループが選出される過程が伝えられていますけれども、それが必要とされたのは、教会の慈善活動から生じたトラブルが発端でした。使徒たちは教えと祈り、つまり御言葉の教育と礼拝に専念しなければならないため、公平な分配をも含む交わりの実際的な問題は別の賜物を持つ人々に委ねた方が良いと判断されました。そこに聖霊の働きがあって、教会に新たな務めが生じています。

 執事が長老の小間使いのようにされてしまうことがありますが、それは間違いです。長老と執事とでは務めが違いますし、賜物が異なります。それを理解して、教会でも選挙をすることが大切です。確かに、執事は教会会議の議員になることはできませんし、小会の監督下で活動しなければなりませんが、それは「格下」を意味してはいません。

2.執事職についての聖書の教え

 「執事」という言葉は「ディアコノス」という聖書の言葉に由来しますが、聖書に出てくる執事が、そのまま今日の私たちの教会の執事職と同じものという訳ではありません。教会の制度は歴史の中で徐々に整備されて今日の形を得ています。さらに、プロテスタント教会は宗教改革を経て、それを聖書に基づいて吟味して、新たな教会政治の形を見出しています。

 執事が信徒の中から選ばれ、聖霊の賜物が分け与えられたことを表す按手を経て任職することは、使徒言行録6章の記述に基づいています。また、パウロの手紙からは教会における執事の活動が時々伺われます。ローマ書16章にある挨拶文では、「フェベ」という名の女性執事が紹介されています。また、テモテへの手紙一3章8節以下は、監督に続いて執事の資格について指示が与えられているところです。ここは開いて読んでおきましょう。

8 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、9 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。10 この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。11 婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。12奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。13 というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。

新共同訳は「奉仕者」という言葉を用いていますが、従来は「執事」と訳されていました。これは、私たちの『政治基準』にほぼそのまま採用されている箇所です。

3.執事への召命

 こうした御言葉に基づいて、私たちは私たちの中から執事を選ぶわけです。「政治基準」の57条を見てみましょう。

(執事の資格)この職務を担当する者は、霊的品性を持ち、模範となる生活を送り、家をよく治め、よい名声を持ち、あたたかい同情心と健全な判断力を持つ者でなければならない。

 先ほどの御言葉とほぼ同じであることが分かりますが、それをコンパクトにまとめた内容です。これに基づいて、私たちは執事の賜物を見分けなくてはならないのですが、吟味されるのはその人の霊性と適性だと言い換えることができようかと思います。「霊性」とは、ここでは「霊的品性」と言われていますが、ただ品が良いというだけではなくて、キリストへの真の信仰を持っていて、そこに由来する落ち着いた教会生活が身についていることです。そして、適性ですが、執事の働きが実際に出来る人、ということです。これは、教師にも長老にも当てはまることですが。執事の働きについては、58条に規定されていますから、それを見て、それを行う賜物があるかどうかが判断されます。

 性別の問題もかつてはありました。東部中会ではわかりませんが、西部中会には執事になるのは男性だけとしていた教会がかつてありました。おそらく、それは先ほどの御言葉の12節にある「一人の妻の夫で」とあるところをそのまま受け取ったからではないかと思います。しかし、11節には「婦人の奉仕者」について触れていますし、先に参照したローマ書にも婦人の執事が出てきますから、私たちの教派ではむしろ女性の執事の方が多いのではないかと思います。今日では、女性の長老・教師も認められていますから、ここは問題にはならないでしょう。むしろ、女性執事の数が多いために、これまで男性の長老から低くみられていた、ということがなかったかどうか、というあたりが今後吟味されることでしょう。

 また、政治基準の文言にも取り入れられていますように、「家をよく治め」とありますから、これは既婚者であるとして、独身者は除外されているように受け取られます。けれども、実際のところは青年の執事もいますし、独身のまま執事を長く続けておられるような方もあります。聖書がそのように語っている意味はよく考えておく必要があると思いますが、初代教会がそうであったように、宣教地である日本ではその点で柔軟な対応も求められます。それは、ウェストミンスター信仰告白の1章6節でも承認されていることです。

 こうして資格のことをまず述べますと、なかなか候補者が見つからないということもあるでしょうし、推薦を受けても尻込みしてしまう向きもあろうかと思います。そういうところが、お手本のない伝道所の難しいところですね。

 これは教師も長老も同じなのですが、イエスの弟子たちが召しを受けて、すぐに弟子らしく、使徒としての働きを始めたのではないように、特に宣教地である日本では、召されてからその職務に相応しく成長させられる、というのが本当であるように思います。ですから、それを主の召しとして受け入れるかどうかが重要です。教会を支えている執事さんが、独立した教会には必ずいますが、本当によく奉仕をなさっています。けれどもお話を聞きますと、私なんかとても務まらないのですけれども、と皆さん謙遜に言われます。私の母はおそらく結婚して間もなく執事にされました。教会としてはなるべく家族で役員にならない方がいい。そうしないと公平さを欠く場合がある、と私も考えますが、教会は幾つかの中心となる家庭があって支えられていますから、そこで奉仕者を募るとなると、夫婦で役員になっていただくようなことは、小さい群れでは選択の余地がなかったりします。そこで、私の母教会でも長老の奥様方たちが皆執事をしていました。母は、信仰は熱心であったと思いますが、殊更学がある訳でもなく、器量がいい訳でもなく、4人の子どもを育てながら教会の執事として働くには大変であったと思います。教理の学びなども、おそらく子どもと一緒に積み重ねていったものと思います。70を過ぎた頃でしょうか、弟の重田道秋長老が、私の母のことを評して、ようやく執事らしくなったなあ、と言ったことがありました。私にはその辺のことはわかりませんでしたが、母は一生かけて執事になるよう教会で育てていただいたのだと思います。それを背負えない重荷と思ったり、避けようとしなかったことが、確かに主の召しであったのでしょう。

4.執事の働きの種々

 さて、「政治基準」第58条に、執事の働きが具体的に列挙されていますので読んでおきましょう。

一 貧困・病気・孤独・失意の中にある者を、御言葉とふさわしい助けをもって励ますこと。

二 献金の祝福を教会員に勧め、教会活動の維持発展のため及び愛の業のためにささげられたものを管理し、その目的にふさわしく分配すること。

三 教会会計及び教会財産の維持・管理を小会の監督の下に行うこと。ただし、財政上の重要事項は、会員総会の議を経て行わなければならない。

四 個々のキリスト信者が愛の律法によって果たすべき一切の義務を、特に執事として果たすこと。

五 教会員と共に、また教会員のために祈ること。

六 牧会的配慮を要する事柄を、牧師に知らせること。

七 伝道すること。

八 諸集会のために配慮すること。

九 教会内外の執事的必要を調査し、教会員に訴えること。

全部で9項目が挙げられていますが、「長老の任務」と共通する項目も見受けられます。まず、教会会計を担当することが執事の重要な働きとされています。先に触れましたように、監督責任は小会にありますから、通常は小会の中に会計担当の長老を置いて、会計に関する何らかの働きを分担しますが、年間の決算や予算、監査などですね、しかし、献金の管理など通常の実務は執事が担当します。近年は、会計の仕方を大会の宗教法人規則に基づいて行うよう指導がなされているところで、帳簿のつけ方なども専門化していますので、苦労するところです。ただ、これをしないとですね、やはり金銭のトラブルが生じて、教会の躓きとなりかねませんから、注意したいところです。教会が独立するためには献金の額ばかりではなくて、会計管理の仕方をきちんと備えておく必要があります。

教会の会計が意味するのは、今は教会の維持・管理が主な目的になっていますが、これが愛の業であるとするのが聖書的な意味です。もとは分配のための管理でした。慈善のために献金が集められたわけです。ですから、いくら制度化が進んでも、そうした執事的な働きの一環として、献金が管理され、用いられていることを忘れないでいたいところです。

次に、執事の働きとして上げられるのは訪問です。これは執事だけに求められることではなくて、牧師や長老の務めにも含まれます。逆に、牧師が訪問するのが当たり前、ではないわけです。長老は勤め人の方が多いですから、中々時間が取れないのですけれども、その分を主婦などをしている執事さんが補っている場合がよくあります。ある教会には、会員さんに何かあるとすぐ車で飛んでいく執事さんがいまして、特に高齢の方々のお世話をよくされています。それで何かあれば、牧師にすぐ連絡してくれますから、牧師の方も時間の調整を上手くしながら対応できます。私も牧師として訪問の務めを果たしたいと常々思っているのですが、書斎にこもっていると中々その踏ん切りがつきません。牧師の務めについて学んだときにお話ししたかと思いますが、そもそも訪問は安否を問うために行うのではありません。礼拝を中心にして、神中心の生活を体現している教会を、家庭に持ち運ぶためです。ですから、おしゃべりに行くのでもなく、お茶をご馳走になりに行くのでもなく、御言葉と祈りによって家庭を聖別し、祝福するために出かけるわけです。日常生活が教会と家庭でバラバラになってしまわないように、どちらも神様の領域として、信仰によって支えられるように、時には教会から家庭へと出向くことが求められます。おそらく、訪問で意図されているのは、第一には病者の訪問であって、主にある平和と慰めを届けるために出かけることでしょう。けれども、様々なケースに応じて、訪問を行う場合は多々あります。それを、教会の中で、それぞれの役割を越えて、お互いに行うことができれば、教会はより豊かな交わりへと成長させられると思います。大きな教会では地域ごとにグループ化して相互牧会を進めているところもありますが、私たちぐらいの規模でしたらそれは必要ないかもしれません。執事もまた、そうした相互牧会のリーダーになることが期待されます。

項目の八に、「諸集会のために配慮すること」とあります。教会では主日礼拝をはじめとする様々な集会がもたれます。その会場準備や管理がここで意図されています。主日礼拝ですと、出席者の確認、新来会者へのガイダンス、礼拝堂の室温の設定、その他、様々な陰の働きが執事に託されています。教会によって奉仕の分担は一般会員にも広げられていると思いますが、それを指揮するのは執事の働きです。毎月開かれる執事会で協議されるのは、こうした行事の準備についてであろうと思います。結婚式や葬儀なども執事会の管轄でしょう。

七と九を合わせて見ますと、そこに執事の働きの対外的な面が表れています。執事は教会内の下働きをするのではなくて、執事ならではの対外的な目を持ちます。大会の執事活動委員会の働きを見るとそれがよく分かると思いますが、国内外の災害援助をしたり、南アフリカのエイズ患者救援活動に献金を送ったりしていますね。そうした、慈善の活動を各個教会で行うのも、執事の働きによります。どこまで活動をするかは別として、少なくとも執事にはそういう関心を持つことが求められるので、キリストの愛の業をどこでどう行うかと考えながら、小会に提案したりして、教会を導く務めがあります。私たちの教派では、まだこの展開は僅かですけれども、全体としての関心は高まっているように思います。

執事の務めとしてもう一つ覚えたいことは、大会・中会への関わりです。執事もまた任職の際にはウェストミンスター信条への誓約が求められますから、教派の柱となる役員になるわけです。自分のいる教会のことだけすればいいのではなくて、中会では今何が議論されているのか、大会ではどのような方向に向かっているのか、とりわけ、それぞれの執事的な活動に、自分の教会はどう関わっていったらいいのか、そういうことに関心を払うことです。東部中会では連合執事会が組織されて年に数回の会合があります。また、最近では、大会に女性の長老議員が出席するようになりましたけれども、その方々の多くは執事として教会で奉仕してこられて、執事の時から大会にもよく陪席していた方々です。議員ではありませんから義務ではないのですが、中会や大会はそうして執事にも開かれた場であることは知っておいていただきたいと思います。

5.執事会 

 さて、教会設立と同時に、小会と合わせて執事会が発足するのが通例です。しかし、執事会を組織するには3名の執事が必要ですので、もし、数が足りない場合は、小会がそれを兼任しなくてはなりません。ですから、目標としては3人の執事を私たちの中から選ぶことを考えておきたいところです。ただし、執事会を作ることができなくても教会設立は可能です。

 執事会は通常、毎月開催されます。そこには牧師か長老が加わりますが、毎月の日程を組むのも今は忙しくて難しいですから、合同協議会として、小会・執事会を同時に開催するケースもあります。この点は第59条の4に今は明記されています。私たちが行うとすると、やはりそうした仕方が相応しいのではと思います。試問をしたり戒規を行ったりする場合は小会でしかできませんけれども、行事の準備や伝道計画などは一緒に協議して良い内容です。現に今の伝道所委員会ではそのようにしています。

6.執事の選挙と任職

 最後に、執事の選挙と任職について確認しておきたいと思います。執事は会員総会で行われる選挙で選ばれます。この仕方は長老のそれと同等です。ここにある順序をそのまま踏襲しますと、選挙で選ばれた後に試問をすることになりますが、そうすると、選挙で選ばれても試問で却下されることもある、ということになります。また、本人にそのつもりがないのに選ばれてしまって、どうしても受けることができないからと拒否されることもあります。それで良いのだとその順序で行っている教会もありますが、私はこれまで試問をして召命感を確認した兄弟姉妹を長老や執事に推薦して、それから選挙に臨むという仕方でやってきました。私たちぐらいの教会ですと、誰もが教会員全員をよく知っているということですが、中規模になりますとそうとも言えなくなりますから、選挙するにも誰を選んだら良いかわからないということになります。それで、長老や執事を選ぶ際には、小会もしくは伝道所委員会が予め候補者を推薦して、その推薦者の了解も得た上で、教会全体で選挙する、という順序にしています。

 執事も長老も同じく、試問を受ける前に準備会を行います。どちらもウェストミンスター信条を含む教会憲法に誓約が求められますから、そのための学びが必要です。教会設立と同時に任職する運びになるとすると、試問会は中会から指名・派遣された教師が行います。

執事の任期は通常は2年です。これも長老と同じで、2年ごとに会員総会で信任の選挙が行われます。また、転勤などで他の改革派教会に転出してそこで執事にまた選ばれたような場合、任職式は行われず、就職式だけが行われます。任期中の執事が何らかの理由で休職や退職する場合、本人の意向だけで勝手に職を離れることはできません。その理由が小会で協議されて受け入れられた場合に認められます。また、執事の引退に年齢規定はありません。これも教会によってまちまちで、80過ぎても現職の場合もあれば、もっと早くに引退する場合もあります。つまり、職務への召しを受けたなら、ちょっとやってみようか程度の意識では務まらない、ということです。生涯をその召しに忠実であろうという心算で受けていただきたい。そうした謙遜な志をもった奉仕者を主が起こしてくださるように、私たちも祈って備えたいと思います。